”没”になった予定記事
8月30日に衆議院選挙は終わりました。全国的には民主党が大勝し、政権政党であった自民党は獲得議席を大幅に減らしました。元首相経験者、閣僚経験者、党3役も落選、公明党は党委員長や幹事長が落選しました。それだけ「変動」のあった総選挙でした。高知1区も大激戦でした
2009年衆議院選挙高知1区の結果
福井 照(55)自民・前(公明推薦)当選 44,068
橋本大二郎(62)無所属・新 39,326
田村久美子(50)民主・新(国民新推薦) 38,117
春名 直章(50)共産・元 13,072
桃田 妙子(49)幸福・新 890
当日有権者数
21万3841人
投票者数
13万7092人
無効 1619票
投票率 64.11%
私の予想では投票率が65%で、順位が橋本・田村・福井の順番でした。全く外れてしまいました。その原因は「自民批判票が分裂した。」「無党派層が橋本・田村に分解し、福井照氏が漁夫の利を得た。」というという事はいえるでしょう。
ブログ記事「予想が外れた総選挙(高知県)」でした。
自民批判票である橋本+田村+春名を合計すると90724票になり、福井氏が獲得した票数の倍はありますし。要するに高知市1区は「反自民統一戦線」が成立せず、与党の自民・公明連合がきちんと機能し、反自民勢力の「分裂・対立」をかいくぐっての当選でした。
しかし橋本大二郎氏のかつての「実力」からすれば、そのような状況下でも勝ち抜ける。当選すると私は勝手に思い込んでいました。なんだかんだ言っても「政治業界のスーパースター」だからというのがその理由。組織や政党の推薦を受けずに高知県知事として4選してきたからです。
ただ全県1区の知事選挙と、都市部の限定された「魔の選挙区」である高知1区は勝手が違ったでしょうし、高知県知事を退任されて1年8ヶ月にもなっています。既に「過去の人」になっていたのではないでしょうか。
それと今回の選挙は「政権選択選挙」の大風が吹いていました。無所属候補の橋本大二郎氏の「立つ位置」がわかりにくく、当選されて後に国会議員として何をされるのかが、最後までわかりませんでした。
あの田中真紀子氏でさえ、公示の直前に民主党へ入ったのですから。橋本大二郎氏が民主党となんらかの「共闘」ができておれば、選挙区の様相も全然違ったと思います。また今回の選挙では最後まで「草の根」の皆様もフル回転することなく終わってしまった様子です。
しかしどんな困難な状況でも勝ち抜くのが「スーパースター」。(音楽界のマイケル・ジャクソンさんのような人を俗にスーパー・スターと言います。)。橋本大二郎さんは政界のスーパースターにはなれませんでした。
今となっては「空しい」予定原稿記事(8月31日にブログに掲載する予定でした。)ですが、公表したいと思います。
総理になる?橋本大二郎氏 (予定原稿の見出し)でした。
高知1区は本当に激戦。終盤は3番手にいた橋本大二郎さん(元高知県知事・無所属)が大逆転を行い当選しました。なんだかんだいっても「スーパー・スター」。組織や政党の支援がなくてもちゃんと小選挙区で勝つのですから。
高知県知事選挙のときもそうでした。自民党公認候補と戦った1991年の最初の知事選挙。「草の根パワー」で自民党公認候補にトリプルの差で勝ちました。
また2003年。2004年の前高知市長であった松尾徹人さんとの知事選挙では、きわどく差しきりました。政党。労組や組織の支援なしの勝利でした。
サイトの記事(参考)
いずれも表事務所はだらしなく統制がいつも取れていませんでした。それでいて選挙には勝つ。やはり橋本大二郎さんは「政治の申し子」でありました。
今後は「高知県代表」として大いに国政で活躍いただきたい。選挙期間中に集会で配布されたチラシには「総理になる」と書かれてありました。
政界再編も含め国政で大いに活躍いただきたいです。そして公約されたように「国と地方のありかたを変える」「地域主導型の国づくり」を実行いただきたいと思います。
「総理になる!」というのが橋本大二郎さんのマニフェストだったんでしょうか。そのスローガンの大胆さには驚きました。渡辺喜美氏が高知市へ来たときに集会で配布していましたし。
「風呂敷は大きいほうがいい」と言われたのは後藤新平さんだったでしょうか。大言壮語は悪いことではありません。ただ高知1区の選挙区を勝ち抜く、戦略になにかの「間違い」「阻害要因」があったんでしょう。
県知事4期16年の政治経験は、「知事の1期4年は、衆議院2回当選の価値がある。」(田中角栄)と言われています。つまり4期16年の知事経験は、8回当選の衆議院議員と同じ政治経験があるのです。
高知県代表として橋本大二郎さんが国会へ行けなかったということは、知事としての貴重な経験が生かされることがないので、とても残念です。
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