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2009.08.24

映画「樺太1945年夏氷雪の門」を見ました。

Hyouserunomoneiga

 8月23日に高知市の龍馬が生まれた街記念館で、田辺浩三さん{戦争を知らない子供たちのための映画会主催者)が上映する映画「樺太1945年氷雪の門」{1974年製作)を鑑賞しました。「戦争を知らない子供たちのための映画会ー第2弾」でした。

 なんと重く悲しい映画でしょうか。無抵抗の樺太島民を無慈悲に虐殺するソ連軍。映画の中で日本軍との交渉シーンがあり、「日本軍は武装解除に応じる。それでも進行し攻撃をやめないのは国際法違反だ。」と日本軍将校は言います。「負けた者には国際法は適用されない。」とソ連側将校は言い放ちます。

 日本本土と異なり空襲もなくのどかな樺太。真岡(まおか)は北洋漁業の基地と王子製紙の工場があり、2万数千人の日本人が居住していました。8月15日に日本がポツダム宣言を受諾し、樺太の人たちは、これで平和になった。戦争は終わったと喜んでいました。

 その矢先に8月17日頃に北緯50度の国境線をソ連軍は超え、日本領に軍事侵攻しました。街も何もかにもが砲撃で破壊され、非戦闘員の住民もソ連兵士に虐殺されます。

 真岡も23日にソ連軍の艦砲射撃が始まり、上陸が開始され街は焼き払われ軍人、住民の区別なくソ連兵に殺害されます。3万人の日本人が樺太で殺害されたと言います。

 映画ではひたすら逃げ惑う日本人住民をソ連軍の飛行機が機銃掃射し殺害する。街へ進行したソ連兵が無抵抗の住民を機関銃で殺害するシーンの連続でした。

 住民が戦闘に巻き込まれ殺害される場面は沖縄戦を描いた日本映画には多い。集団自決しようとした住民を救助する米軍兵士も描かれている。

 一方こちらは日本は無条件降伏し軍幹部から停戦停止命令を受けた軍の代表が、白旗を掲げ住民を守ろうとして停戦交渉を出かけたのに。ソ連軍に全員射殺されてしまいましたし。まさに極悪非道のソ連軍であります。でもそれは紛れもない歴史的事実でありました。

 真岡郵便局の電話交換手の9人の若い女性たちは戦闘の混乱のなかで、懸命に電話に応対し、真摯に職務をまっとうしました。そして服毒自殺をされました。
 北海道稚内市の公園内に樺太を望む場所に女性像が立っていると映画の最後で説明がありました。それが「氷雪の門」です。
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 田辺浩三さんは解説の中で「この映画あまりに日本がやられぱなしの映画なので公表当時は評価が低いものでした。また当時のソ連が莫大な予算で東宝から映画の興行権を買い取り,映画館で上映できない措置をしていました。

 ソ連邦が崩壊し、30年間の期限も切れたためようやくこの映画日の目を見ました。最初に上映された場所は靖国神社でした。なんか右翼反戦映画という色合いがありました。

 でも反戦映画には右翼も左翼もありません。戦争を知らない世代の私たちはこの映画が描いた歴史の真実と向き合う義務があります。」と言われたました。そのとうりです。

 また樺太出身者で全樺太連盟顧問の山本親男さん(84歳。)の講演がありました。「樺太関係資料」に簡潔にまとめられています。
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「日本は樺太に関心を示し出したのは江戸時代に探検家間宮林蔵が調査をしてから。ロシアの極東進出を幕府は脅威と感じ松前藩に明示,樺太領有を主張した。
 明治維新後薩長政権は実力者黒田清隆が「樺太無用論」を唱え、ロシアとの間で「千島ー樺太交換条約」を締結するなど領有権を放棄する有様でした。

 明治政府閣僚で唯一樺太に関心があったのは高知出身の谷千城でした。やがてその主張は日露戦争で日本の勝利により樺太の北緯50度以南を日本領とした。面積は九州の90%。北方漁業と石炭、製紙会社の進出で昭和20年当時に日本人は40万程度居住していました。」
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「ソ連というかロシアは他の国と全然異なります。常識は通用しません。映画で樺太島民が「緊急避難」という言葉を使用して懸命に山に逃げていました。それは前例があるからです。

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 中国黒竜江沿いに進行してきたソ連軍は日本人住民を残虐なやりかたで700人を虐殺した情報が伝達されていたからです。降伏して無抵抗の日本人を虐殺した事実は広く伝わっていました。」

 全然知らない事実を映画と山本親男さんに知らされました。日露関係の見直し、関係のありかたも考えさせられました。「北方領土」問題も右翼の皆さん方の専売特許ではなく、国民的課題として考えなければならないと思いました。

 田辺浩三さんほか関係者の皆さん上映ありがとうございました。
Karafutotizu

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