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2009.08.10

「新左翼とは何だったのか」を読んで

Shinsayokuhonm
 海へ行けない時は、暑いけれども読書。高知市の片桐書店で「新左翼とは何だったのか」(荒岱介・著・幻冬舎新書)を読みました。筆者は1945年生まれ。1965年早稲田闘争に参加し活動家に。第二次社学同委員長。ブント戦旗派系統の人らしい。

 記述は歴史の教科書的記述。当然筆者の肩入れしているセクトの「歴史観」の影響は否めないが、総じて客観的に淡々と描かれている。

 戦後直後の社会運動を主導していたのは共産党でした。それとは違う総評系(社会党系)の労働運動とブント(共産主義者同盟)が主導した学生運動が台頭し、学生を中心とした社会運動の盛り上がりが、既成左翼である共産党や社会党とは異なるということで「新左翼」と呼ばれるようになりました。

 「またベッシックに返れという新左翼の問題意識は、マルクス、エンゲルス、レーニン、トロッキーなどの原点を守れという、教条主義と表裏一体のものとして新左翼を成立させています。
 イスラム教でいえば、「コーラン」を字義どおりに解釈し、そのまま実践すべしという原理主義勢力と同じようなものとして、教義を変えること自体が許されなくなるのです。」(P70)

「たとえ原典に従えというだけでは時間性と場所性に対応できないという場合でも、結局は宗教のように自派の教祖を崇めるだけという結論になりがちです。外に向かって対話していく構造は、新左翼の出目において生まれない構造になっているのです。」(P71)

 新しさで時代の「旗手」「ヌーベルバーク」と言われた新左翼でしたが、初期のブントのおおらかさは失われ、原理主義的な狭い教義の理論に収斂し、他派を排除し、後に凄惨な内ゲバをくり返し、市民大衆から見放され影響力を失うようになりました。

 よその党派との共闘や、共存。統一戦線が出来にくい理論構造になってしまいました。「統一戦線」をたまに組んでも内部では各セクトの勢力拡張の暗闘があり、既成左翼を批判できないところが新左翼の弱点なのではないでしょうか。

 荒氏は「70年安保闘争が残した課題」として彼なりに総括しています。少し引用が長いですが、引用してみます。そこに新左翼運動の限界があると思うからです。

「70年安保闘争は、全国学園闘争との連関でいえば、百をこす大学で当たり前のように火炎瓶が投げられ、機動隊との実力攻防がつづけられた闘いでした。実力決起の常態化ということでいえば、闘争への参加者数も、全国化の度合いでも、また逮捕者の絶対数からといっても60年安保を大きく上回る大衆的実力闘争という歴史的地平が切り開かれたのは間違いありません。
 そしてそのあと求められていたのは、闘争勢力の市民社会に根ざした社会的力への発展だったと思います。」

「にもかかわらず、70年安保闘争の高揚を自派拡大のチャンスとしか考えられなかった新左翼各派は、共産党伝統のような前衛党志向を超えられないまま、「全世界を獲得するために」という自家中毒を深めていってしまったのです。
 ニーチェの言うように「権力への意志」に駆られたという言い方もできますが、大衆的高揚を集約するのは自派という図式をのりこえられなかったのです。」(P110)

 
「そのもっとも端的な表れが運動の高揚後、70年代に本格化する中核派と革マル派による内ゲバの勃発、中核派いうところの「絶対戦争」の発生です。まさに唯一の前衛という図式なくして、こんな内ゲバは戦えません。勝ったほうが唯一の前衛として大衆を集約するという散漫に駆られたのです。」

「もう1つは同じ理由が別の形で表れたもにともいえるものですが、武装闘争を主張する赤軍派のブントからの分派と「戦争」への突入に象徴される事態です。そこでは遅れた大衆闘争を軽蔑するような「壮大なゼロ」ということがいわれました。」

「その結果、戦術のレベルアップのみが権力を倒せるという自縄自縛の世界が生まれていったのです。そんな唯武器主義思想のもとでは、太衆闘争は、党派の闘いを支持する兵站でしかないことになってしまいます。」

「新左翼はその結果、既成の運動とは距離を持つ別次元の闘い、武装闘争と内ゲバにますますはまり込んでいってしまったのです。ここにおいて新左翼は大衆的支持を失い、次第に運動的基盤を喪失していきます。
 孤立化がカルト化を促進し、精鋭化する一方で自滅への道を歩むようになってしまうのです。それが直接的に表れたのが72年初めに発覚していく、連合赤軍による同志殺害事件だったと思います。」(P111)

 ベトナム戦争や公害への怒りから、多くの青年たちが新左翼の運動に共鳴し、街頭に学園で闘争に駆り立てられ参加しました。わたしも田舎の1高校生として高校生の反戦運動に参加しました。

 しかし荒氏が記述しているような新左翼各セクトの嫌な体質がありました。
 人間を解放するための思想が人間を抑圧し、支配する原理には到底耐えられませんでした。高校ー大学と断続的に社会運動に関わりますが、「一生を託す」存在ではありえず1976年を最後に運動とは無縁になりました。

 でも引きづり、こだわりが40年経過してもあります。普段は生活に追われ忘れていることですが、政治と社会、社会運動とのかかわりは常に考えてきました。

 社会運動の中核におられた人の総括本だけに、「そういえばそうだったな」という思いは共有したことは確かでした。

 これからも「連合赤軍と新自由主義の総括」は考え検討していこうと思います。

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