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2009.10.30

ペリー以降のアメリカと沖縄

 以前沖縄の知人から聞いた話がありました。
 「幕末に江戸幕府に開国を強要した米軍提督のペリー。彼らは下田へ行く前に琉球へ長期間滞在し、島内の測量や植生調査をしていたそうです。ペリーはもし江戸幕府が開国を拒絶した場合は、琉球を軍事占領したい。との上申書まで大統領に書いていました。」とのことです。

 蒸気船以降の時代にも沖縄にアメリカは目をつけていました。2次大戦時には多大な犠牲を払って沖縄を占領し、巨大な軍事基地を建設。在日米軍の大半(75%)の兵力を沖縄本島に駐留させています。二次大戦当時もアメリカは「太平洋のキーストーン」と沖縄を位置づけ最重要拠点としての攻略を意図していました。

 現代のアメリカの軍事戦略も兵器は変われど沖縄重視です。沖縄にあれほどの兵力が駐留しておれば、まず日本を軍事占領できます。朝鮮半島や中国をけん制でき、東南アジアからインド、中東までの地域を制圧することも可能。それは沖縄が巨大な兵站基地であるからです。

 アメリカの覇権と帝国主義を存立させるために沖縄の基地はあります。

 アメリカの沖縄に関する執拗な関心に「引き換え、日本政府は冷淡でした。2次大戦時にも沖縄の兵力を台湾へ移転させたり、本土防錆の「捨石」にし「時間稼ぎに」使いました。10万人の沖縄の民間人が亡くなったのです。日本軍は沖縄では軍隊として機能していないのでした。

 それだけ日本のために凄惨な地上戦を戦った沖縄であるのに、巨大な米軍基地はつき座ったままです。これでは沖縄の人たちは怒ります。日本政府に対して。

 鳩山首相は沖縄の人たちの立場になって米国と交渉すべきです。米国首脳との日米会談の場所は、広島ー長崎と沖縄にすべきです。

 ペリーに見られるアメリカのしたたかさを研究しませんと。施政権がアメリカに統治されていた時代の劣悪な米軍将校が沖縄にいて、沖縄をグアムのようにアメリカに編入させようとの画策をした者もいたようにも知人に聞きました。

 一方中国も沖縄を古来からの領土であると主張しています。過去の歴史では琉球王国は確かに中国の明や清に朝貢していました。琉球王が即位すると中国へ貢物を持って挨拶に行く。答礼に中国はその10倍の返礼を持って「冊封使(さっぷうし)」が琉球へやってくる。つまり中国王朝にとっては琉球は東の端の属国でありました。

 覇権国家中国ですが、肝心要の時期に、琉球を助けることができませんでした。1回目は薩摩による侵攻があったとき。琉球は明に援軍を要請しましたが、滅亡寸前で来ませんでした。2回目は明治維新の廃藩置県の時。これまた清国も滅亡寸前。琉球国は沖縄県となりました。

 そして二次大戦では日本本土防衛の捨石となり多大な犠牲を払いました。敗戦後は米軍に戦力され、日本二復帰後も巨大な米軍基地は返還はほとんどされないまま、つき座っています。

 沖縄の米軍基地問題は日本政府がほとんど冷淡であり、返還交渉をまじめにしなかった負の遺産です。最近では小泉ー安部内閣が酷すぎました。日本をアメリカの属国に知るために、国民生活を犠牲にして社会構造まで変えようとしたのですから。

 8月の総選挙は、絶対に小泉ー安部の言うとおりにさせないという国民の怒りが爆発したのです。沖縄では米軍基地の整理縮小を掲げる当時の野党であった、国民新党(1区)、社民党(2区)、民主党(3区・4区)で当選。比例は共産党が議席を得ました。米軍基地との共存を訴えた自民・公明は沖縄では議席を得ることはできなかったのです。つまり沖縄の民意は「米軍基地はNO!]]なのです。

 沖縄の意志は、日本人の意志なのです。

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