米国海兵隊は日本から撤退せよ!
沖縄普天間基地問題に関して、アメリカ政府はやたら強気である。先日来日したゲーツ国防長官などの言動は「占領軍司令官」のようなものでした。
「2006年の日米合意で名護市辺野古に基地は移転する。一部は岩国へ、一部はグアムへ移転する。辺野古移転が大前提。それがなければ、われわれはいつまでも普天間に居座る。」とは言わなかったが要するにそういう居丈高な発言である。
米国海兵隊は第二次対戦中に日本軍との攻防で多くの死傷者を出した敵前上陸部隊です。沖縄戦でも1万1千人の戦没者がいます。沖縄は海兵隊の先輩たちが血であがなって獲得した基地である。簡単に返還などはしない。まして沖縄米軍基地は「太平洋のキーストーン」である。米軍の世界戦略で最重要拠点の1つであることは間違いない。だから撤退などは絶対に出来ない。というのがアメリカの論法である。
こういうのを「帝国主義」と言います。覇権国家アメリカならではの「身勝手」な論法です。
1995年に 米軍基地の海兵隊兵士が女子小学生を暴行した許しがたい事件がありました。当時沖縄は保守も革新勢力も抗議運動に立ち上がり日米政府を震撼させました。そして当時の橋本内閣は普天間基地の移転を約束しました。
自民党政権も橋本ー小渕時代は沖縄問題に熱心でした。日米安保条約は憲法違反でないから、沖縄からの米軍基地の撤去は難しい。基地経済に頼らない沖縄経済の自律のために、1997年に香港が中国に返還されるので、沖縄全島をフリーゾーン(FTZ構想)を当時の橋本内閣と沖縄県(太田知事)は提唱し、「沖縄協議会」を日本経済人と沖縄経済人で発足させ、政府も加わり税制の改革まで踏み込んだ議論をしていました。
それだけ沖縄に当時の自民党政府は気遣いをしていたから、小渕首相は「沖縄サミット」を提唱したのです。当時のクリントン大統領が「平和の礎(いしじ)」を訪れ、日米戦没者の慰霊碑に献花したこともありました。
小渕首相が急逝した後の森ー小泉ー安部ー福田と続いた「清和会」系の自民党政権は、沖縄問題にきわめて冷淡でした。いつしか沖縄FTZ構想も忘れられ、日本人には屈辱的な日米地位協定の改定にも不熱心でした。
今回の普天間基地の問題で1番悪いのは小泉純一郎元首相です。2004年8月13日に普天間基地のへりが隣接する沖縄国際大学構内に墜落炎上しました。米軍は現場を軍事力で閉鎖。沖縄県警も消防署も現場検証すらできませんでした。米軍兵士は現場付近で我が物顔で往来していました。
日本国民が屈辱的な扱いを米軍に受けているのに、小泉首相は米国に抗議1つしませんでした。また現場へ来ることもありませんでした。
むしろ2004年にはテロ対策と称して、米軍の要請でインド洋へ海上自衛隊を派遣し、イラクへもサマワへ陸上自衛隊を派遣したことでした。つまりは米国追随政策真っ最中でした。
2006年に普天間基地を名護市辺野古へ移転する県内移設案にしても、「9・11」以降の1国覇権主義のブッシュ政権の意向を色濃く反映した米軍再編計画に過ぎません。ましてゲーツ国防長官は、ネオコンのラムズウェルド氏ほどではないにしろ、ブッシュ政権から引き続いて国防長官をしている人物です。
2006年当時の日本政府(小泉純一郎首相)の対米従属、卑屈な路線が、「日米両政府の合意」であると勘違いする理由もわからないわけではありません。
自民党清和会の元祖であった岸信介元首相は、「東条英機氏らA級戦犯が絞首刑になった翌日に、米国政府の要請で釈放され、しかも工作資金まで供与されていた。」のです。A級戦犯岸信介はアメリカに恩義があるので、アメリカと同等の外交を主張する当時の吉田茂氏の対抗勢力として出発した歴史があるのです。
岸信介氏の系統を引く、自民党「清和会」は一貫して「対米従属路線」であったのです。
ある意味沖縄問題に良心的に取り組んでいたのは橋本ー小渕ー梶山ー野中といった自民党旧田中派系統の人たちでした。田中派ー竹下派は分裂し、党を小沢一郎氏などが飛び出したために勢力が衰退し、2000年あたりから対米従属路線の「清和会」系が日本の政権運営してきた「つけ」と悪癖が沖縄問題には凝縮しています。
何度も言いますが沖縄県の人口は日本の総人口の1%でしかありません。でも日本に駐留する米軍基地の75%が沖縄に存在しています。8月の総選挙では「米軍基地との共存」を主張した自民党・公明党議員は沖縄戦局では1人も当選できませんでした。比例区は共産党が当選したのです。
沖縄の「民意」は、普天間基地は撤去し、海外移設なのです。それが「日本の民意」なのです。
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