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2009.10.30

40年経過してもわからないことがありすぎる・・

 この文章は一度ブログに投稿しましたが、こだわりがあるのでもい一度投稿します。40年経過しても言葉が共感できない現実があります。

 知人に1970年前後に発刊された「週間アンポ」という小冊子を借りました。べ兵連{ベトナムに平和を市民連合)の人たちが中心に発刊された雑誌です。当時その存在すら知らない田舎の高校生でした。

 「われわれの闘いは苦しい。だがわれわれは戦っていかなければならない。闘争の放棄は日常性の回帰であり、人間であることの放棄であるからだ。
 学内と学外を分断された中で、われわれは自らの自覚をもって、多くの生徒の中に浸透していく闘いを組み、明確にあらわれた学校の欺瞞性をに対し、非人間的社会に対して闘いを挑んでいかなければならない。(週刊アンポNO4「高校生の広場」

 都立青山高校の活動家の手記です。同時期田舎で高校生反戦会議の結成に参加。そのことで校長室に呼び出されたことがありました。

「青山高校は荒れ果てていた。酒ビンも転がっていた。教育の荒廃と破壊だ。うちの高校を断じてあのようになってはいけない。」と。校長は青山高校をバリケード封鎖解除後視察したようだった。

 もはや変色している雑誌の各ページ。同時期同じ世代の活動家であったのに、述べられている言葉に「共感」が得られない。39年も経過したからなのか。

 中高年になった自分は「日常のなかに埋没」しきっております。非日常の闘争ってなんでしょう?逆にわかりません。

 高校生の場合はすべてが苦しい。私の場合も損するばかりで、得なことはなにもなかった。闘争仲間は退学処分や自主退学した。高校卒業の学歴すらなくなるのですから。

 当時両親が商売のかたわら頑張ってくれたおかげで今日がある。超高齢者の両親をサポートするのはある意味当たり前。

 おまけに低賃金であえいできたから自分の「老後」というか年金生活での貧困生活まで見通しが立ちました。ようするに病気なんぞになる暇も金もないという現実です。

 無駄な消費はやめて、将来に備えて貯金をするしかない現実があろうとは40年前には気がつかなかっただけです。高校生の時も苦しかった。しかし今も苦しいし、将来も苦しい。

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