鍵は白洲次郎と「村山談話」
敗戦後64年目の日本。2009年8月30日は投票で初めて政権交代が実現した日でもありました。とても大きな意味を持っています。
日本の戦後史のなかで「節目」はいくつかありましたが、戦後まもなくの頃の「白洲次郎」という存在と。戦後50年での談話をだした村山内閣による「村山談話」が日本の方向性を決めたと思います。
左翼勢力は「日本国憲法は日本国民主導で決めた憲法で占領軍の押し付けではない」と強弁します。白洲次郎氏は「マッカーサーのスタッフ連中が日本軍に追われ、豪州に避難している間に日本占領計画を作成し、そのなかに憲法作成チームがあったに違いない。」と言い切っております。歴史の証人でもあるでしょう。白洲次郎氏は。たぶんその説が正しいとわたしは思います。
参考ブログ記事 「白洲次郎なる人物」
また右翼勢力がしきりに「自虐史観」として引用し非難する「村山談話」ですが、あれこそ1994年当時の社会党左派と自民党右派の合同でこしらえた戦後日本の「総括」であったのです。内閣で合意形成されているものです。ですのでだれも政治家は無視できません。
参考ブログ記事「村山談話とは何か?」を読んで
この2つが日本の流れを決めたのです。鳩山内閣の外交姿勢も「村山談話」の延長上にあり、アジア共同体まで見据えているのです。その流れは本流の流れであると言えるでしょう。
日本国憲法公布式典(1947年)当時の全国民が祝賀しました。
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