「村山談話とはなにか」を読んで
先日ある友人が「村山談話とは何か」(角川書店刊・村山富市・佐高信.共著)を貸してくれました。
最近「村山談話」は「自虐史観」。中国や韓国に卑屈にへつらい、結果北朝鮮になめられる。日本は核武装して北朝鮮に対抗すべきである。などと勇ましい軍拡論を展開するタレント=田母神敏雄氏などが跋扈しているようです。
参考ブログ記事 田母神敏雄氏講演会IN高知
田母神敏雄氏の高知での講演会も傾聴し、著作も購入、サインまでしていただき、講演もまじめに傾聴しました。その一見「心地よく、わかりやすい」主張と、自虐史観と矮小化される「村山談話」。本当にそうなのか?と思いじっくり読んでみました。
まず当時の村山内閣成立当時の日本と世界の状況を振り返らないといけません。1993年頃に細川連立内閣が成立しましたが、短期間で崩壊。その後自民・さきがけ・社会党連立政権が誕生しています。いわゆる「55年体制崩壊ー再編成」の政治状況でした。
国際的にもソ連邦の崩壊、東欧諸国の民主化。東西ドイツの統一。天安門事件であるとか東西冷戦構造が崩壊していた時期でした。
そのときに誕生した村山内閣は重要なことをいくつか成し遂げています。「被爆者支援の法律」「水俣病患者への国の支援」もきちんとやりました。
自民党との連立政権で首相になった村山富市氏は社会党左派の立場を超越し「自衛隊容認。日米安保容認」を社会党内部を説得して方針を転換しました。
「国民の8割が専守防衛を目的とした自衛隊を容認してたことも大きい。」(P196)。その中で「集団的自衛権行使は違憲」であるとはっきり言っています。
自民党の後藤田正春氏との協議の中でも、「日米安保条約を日米友好条約」に転換すべきだと後藤田氏は述べていました。「武装した自衛隊を海外に出すべきではない。」(P199)が超えられない1線とちゃんと村山内閣で定義していました。
村山内閣時代に「アジアへの真摯な姿勢。アメリカとの適度な距離」「アジア共同体構想」が出されていました。その政治姿勢は15年経過して現在の鳩山内閣の外交方針として蘇ったとも言えましょう。
当時の村山内閣の閣僚名簿があります。平成7年8月8日の改造内閣名簿です。(P36)スキャナーで取り込みました。
この名簿を見ますと、「靖国神社にみんなで参拝する会」の代表者の島村氏や国粋主義者とされる平沼氏。自民党の実力者の青木氏や森氏(後の首相)、橋本龍太郎氏(次期首相)らが閣僚にいます。
いわば自民党と社会党の実力者内閣であり、そこで閣議で承認されたのが「村山談話」というものです。政権内の合意形成がなされた結果であり、日本国民の総意と言っても間違いありません。
本では村山富市氏の生い立ちや、政治姿勢も書かれていました。大分の漁村に生まれ、アルバイトをしながら上京。明治大学へ進学。学徒出陣するも終戦。戦後は漁村の民主化で組合作りに奔走。そのなかで声がかかり、大分市議、県議、衆議院議員に。
一貫して周りから担がれた「とんちゃん」の姿。日本国首相も自民党筋から担がれてなったもの。それだけにしぶとさもあると思いました。
民主党鳩山政権の今後を占う意味でも、なかなか含蓄のある著作でした。
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