白州次郎なる人物
図書館で「白州次郎」(河出書房新社・2002年刊)という雑誌を借りて読みました。最近もNHKが白州次郎をとりあげたドラマも放映していましたし。なんか戦後政治史をそろそろ総括する必要性があるからでしょうか?
この雑誌のなかで戦後30年目の白州次郎氏の回想録が掲載されています。そこで興味ある記述がありました。
「豪州で作られた新憲法?」とありました。(P45)です。
「多くの日本人は、あれはマッカーサーのGHQが基本性格について日本側に示唆を与え、それをもとにして日本人自身の手で作り上げたようにが考えているようであるが、あれは紛れもなく、彼らが作った憲法なのである。」(P45)
マッカーサーは敗戦の年の10月に近衛元首相に憲法改正の要を説いています。日本側でも松本国務省を責任者とする「憲法問題調査委員会」が設置され独自の憲法草案を検討していました。
一方アメリカ国内には「新憲法を敗戦国民に作らせるのは何事」と言う批判があった。(P45)。結局日本側の憲法案は退けられ、GHQ案をもとに日本国憲法はこしらえられるという歴史的事実がありました。
「日本の青空」では民主的な憲法を日本人独自にこしらえようとした動きが顕著であるとされていましたが、白州次郎氏は全くそのことに触れていません。
参考ブログ記事「必見映画日本の青空」
「果たせるかな、GHQは日本政府の提出した”松本私案”を拒絶する旨を表明した。そしてそれから10日後、GHQ側はあたかも日本側の草案がダメになるのを待っていたかのように、彼らの作った”マッカーサー草案”を提示してきたのである。」(P46)
このあたりは白州次郎氏は「歴史の証人」であると言えるのではないだろうか。また次のような興味ある発言もされています。
「GHQ内で、この草案づくりを担当したホイットニー准将(のちに少将に昇進)がのちに語ったところによれば、かれらはこの草案を「たった1週間で作った。」という。そして、このホイットニー談話も、今や戦後史の1つの定説になりつつあるようだが、ぼくにいわせればこれも事実に相違する。」(P46)
興味のあるところなので、長くなりますが、白州次郎氏の談話を引用します。
「それから半年以上経過した昭和21年11月3日、わが新憲法は”マッカーサー草案”にいくつかの修正を施した後、交付された。政府はこれを記念して銀杯を作り、関係者に配ることにした。
で、ぼくもこの銀杯をホイットニー氏に届けるべく、民生局を訪問した。と、ホイットニー氏はことのほかこの贈り物を喜んだあと、ぼくに向かって「ミスター・シラス、この銀杯をあと幾組もいただきたいんだが・・・」と言い出した。
その日、ホイットニー氏の部屋には、ケージス次長以下何人かのスタッフが詰めていたが、彼のいう”幾組”とは、このスタッフの数をはるかに上回るものであった。ぼくが、その点を改めてただすと、ホイットニー氏はつい、口を滑らせた。」
「ミスター・シラス、あの憲法に関係したスタッフは、ここにいるだけではないんだ。日本には来ていないが、豪州時代にこの仕事に参加した人間が、まだ何人もいるのだよ。」
「つまりマッカーサー草案はすでに、マ将軍が豪州の地にあって、”日本本土侵攻作戦”を開始したとき、その作業に取り掛かり始めていたのである。」(P46)
このあたりは事実ではないかと思いますね。また白州次郎氏の真骨頂は、サンフランシスコ講話条約受諾演説の草稿でしょう。当初外務官僚が米国側と示し合わせてこしらえた文章は英文でした。占領に感謝するとか卑屈極まりない。また沖縄の返還にも一言も触れられないことに白州氏が激怒。
日本語に書き直させ、沖縄返還にも触れる文言にしたとか。
(左の写真は正子氏と結婚した頃(1928年)。右は英国留学時代の1925年。自動車レースに明け暮れていたとか。いずれも雑誌の写真より転載。モダンな人でしたね。)
「フランス人はレジスタンスを誇りに思っている。ところが日本はあれだけ抵抗したのに戦争に負けたらとたんに卑屈になりやがる。占領軍に取り入って儲けようと言う輩も続出。おれは地位も名誉いらん。占領軍に抵抗した日本人は吉田茂と白州次郎ぐらいだしね。」とかあっさりと言いそうな御仁。
写真のTシャツにGパン(表紙の写真)を日本で最初に来た男となっていますが、{今であったらユニクロのモデルになるだろうか?たぶんならんでしょう)。実は腹巻もしていたとか。
著作「プリンシプルのない日本」も以前読みましたが、さほど印象には残りませんでした。でも戦後の1時代をこしらえた大人物であることは間違いないと思いますね。
(鶴川で農業者になっていた白州次郎氏。吉田茂氏とは対GHQ交渉で同席していたようです。いずれも雑誌の写真より転載しました。)
日本国憲法を守れとヒステリックに叫んでいる「憲法9条原理主義者」も、きちんと歴史的な事実をお勉強してからにしてほしい。当時の左翼陣営は何の関与も貢献もしていない歴史的事実の認識からはじめないと、ウソが国民大衆はわかるから支持が広がらないのです。
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