昔は人材は地方にもいた
「エンジン01」とかいう有名人の「同窓会」が終わったようです。山本一力氏が「力んで言うほど」のたいそうな影響力はなく、無事に事業は終了しました。あれは「同窓会」でいいのでしょうが、わざわざやるだけの意義はわかりませんでした。
「花神」(司馬遼太郎・著)を読んでいまして、150年ほど前の日本は、鎖国体制で、300の諸藩が統治していた農業主体の貧しい国でしたが、教育水準は当時としては高いものがあったんだと驚きました。しかも高い水準の知識人が地方に分散していたのです。
学問に力を入れていたという長岡藩(今の新潟の一部)は有名ですが、村田蔵六の長州や、彼が一時滞在する宇和島藩(愛媛県の一部)も蘭学が盛んであったようです。村田蔵六が凄いのは、文献の検索だけで、計算し、宇和島で蒸気船をこしらえたことです。
「役に立たない学問」ではなく、まさに実学で新しい分野をこしらえ、時代を切り開いていった人たちが当時地方にはたくさんいました。
テレビ番組の多くは中央に集まったお笑いタレントの仲間内の話の暴露で笑いを獲るというくだらないことばかりしています。のりピーがどうしたとか。それよりも沖縄の問題をそうするのかのほうが、はるかに大事であり重要なのです。
「エンジン01」で私が聞いた政治評論の対談は実にレベルが低くつまらないものでした。会場との対話もなく話を拝聴するだけの価値はなく、500円と時間がもったいないと思いました。
村田蔵六は、淡々と学問に打ち込み文献検索をしていました。周囲に望まれたら、ちゃんと意見を具申し、官軍の総司令官にもなりました。前線を支えるための兵站を重視し、資金調達を重要視するリアリストでした。壮士然とした愚かな発想で日本を滅亡に導いた彼の後輩の軍参謀本部が出来ようとは村田は思わなかったことでしょう。
今でも人材は各地にいます。それを発掘する桂小五郎のような政治リーダーが不在なのでしょう。地方の政治リーダーがあまりに卑屈なのが気に入らないです。
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