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2009.11.06

「老いの超え方」を読んで

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 「老いの超え方」(吉本隆明・著・朝日文庫)を友人に借りて読みました。わたしは超高齢者(90歳・84歳)の両親と同居していることもあり、日頃から「老人力」に振り回されている生活をしているるので、この本に書かれていることはよく理解できました。

 学生時代から関連著作本は買い揃えているものの、難解でよくわからない吉本隆明さんですが、ご自身が高齢者になり、入院され、介護される体験のなかで、語られる問題意識は鋭いなと思い感心しています。

 関連ブログ記事「吉本隆明語る 思想を生きる

「老齢者は身体の運動性が鈍くなってくると若い人はおもっていて、それは一見常識的のように見えるが、大いなる誤解である。老齢者は意思氏、身体の行動を起こすことの間の「背離」が大きくなっているのだ。言い換えるのにこの意味はでは老齢者は「超人間」なのだ。これを洞察できないと老齢者と若者との差異はひどくなるばかりだ。」

「老齢者は若者を人間というものを外側しか見られない愚か者だとおもい、若者は老齢者をよぼよぼの老衰者だとおもってあなどる。両者とも大いなる誤解である。一般社会の常識はそれですませているが、精神の「有事」となると取り返しのつかない相互不信となる。」

「感性が鈍化するのではなく、あまりに意志力と身体の運動性との乖離が大きくなるので、他人に告げるのも億劫になり、そのくせ身体の運動性との乖離が大きくなるので、想像力、空想力、妄想、思い入れなどは一層活発になる。これが老齢の大きな特徴である。」

「このように基本的に掴まえていれば、大きな誤解は生じない。老齢者がときどきやるボケを老齢の本質のようにみている新聞やテレビ、あるいはそこに出てくる医師、介護士、ボランティアなどの言うことを真に受けると、とんでもない思い違いをして、老齢者を本当のボケに追いやることがありえる。身体の運動性だけを考えれば動物のように考えと反射的行動を直結するのがいいに決まっている。」


けれど高齢者は動物と最も遠い「超人間」であることを忘れないで欲しい。生涯を送るということは、人間をもっと人間にして何かを次世代に受け継ぐことだ。
 それがよりよい人間になるかどうかは「個人としての個人」には判断できない。自分のなかの「社会集団としての個人」の部分が実感として知ることができるといえる」(「語彙集 その1身体編・P140-141)
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 さすがは「ただの高齢者」ではありません。吉本隆明さんは。高齢者の「代弁者」になっています。身体能力が落ちたことを父は嘆いていますし、想像力は母は豊かで振り回されています。その要因を吉本さんは見事に解き明かしていただいています。「超人間」というのは、そのとうりであると思う。

 聞き手の佐藤信也氏(ライフサポート社・代表)の話の引き出し方、問題提起も的確。医療・介護・福祉の現場を熟知し、相対化できる能力があればこその現実性と説得力があるはずです。

 わたしも介護施設で研修をしたことがあります。そのときに高齢者の人格と尊厳を無視した一律の仕事のやりかたには疑問を持ちました。症状の程度にかかわらず、入所者全員が紙おむつをさせられており、20人の入所者に対しホームヘルパーは3人程度。とてもケアは出来ない。話相手すらなれない介護施設の現場の現実。認知症の人たちの部屋に研修で配属されました。大変でした。でも今も思い出すと切ないのです。

 2人の対談のなかで、いろんなアイデアが出てきていました。介護を熟知した聞き手と、介護状態真っ只中の思想界の巨人の対談ですので、とても面白いのです。

「老人施設と保育園を隣接してこしらえて、相互交流する。」

「老人の知恵を活用する会社をつくることはできないか。」

「1番理想的なのは老齢年金が十分であることだ。十分な老齢年金があるとして、炊事や買い物に行く人の手当てを十分に支払う。そういうひとを雇うことができるのは理想。」

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 わたしは今でもワーキング・プア状態ですが、将来の年金支給額が極めて低く(安月給だからしかたがないとはいえ)貧困高齢者になることはこのままでは間違いありません。


 参考ブログ記事「年金定期便が来ました」

 佐藤氏がP126で富山県で3人の看護士がはじめたケア施設「このゆびとーまれ」という施設を紹介していました。最初はどこの援助も受けずに友人たちのカンパで立ち上げたとか。

 このゆびとまれの活動内容

 子供だろうが、重症患者だろうが、高齢者だろうが、預かる、受け入れる施設をこしらえました。ベットに寝てチューブをつないで人工呼吸器をつけている人がいる。そのベットの下でちょっと知的障害のある子供が動き回っている。

 自閉症の中学生、高校生もいる。30人ぐらい。赤ん坊、幼児、青年、女性、高齢者が思い思いすごしています。
 3人の優れもののナース(元日赤の看護士3人の退職金を出して設立されたといいます)がいるので、1つの事故も起こらないという素晴らしいしくみです。

 また佐藤氏はスウェーデンの実例からこんなことを言われていました。吉本氏との掛け合いが面白い。

人間の生活の基本は食べることと排泄することと、眠ることで、そこが自立できないと、精神のリハビリにかなり影響するという考え方がしっかりと踏まえられている。
 そのため、人と物と金をケアにたくさんかけています。それが人間の自立というか、尊厳というものの根本にあるという思想が制度的に保証されています。
 日本はその側面にまだ人と物と金を潤沢にかけていませんね。」(P93)

吉本「それは日本では今のところ無理ですね。お医者さんからリハビリ専門の人,看護士さんまでそんなことは教育されていないでしょうし。全然できていません。
 まだそこまで行っていないのが現状ではないでしょうか。でも、そこまで行ったらたいしたものだと僕はおもいます。
 そうなったら、若い人の税金が多くなるとか。そんなことは問題ではありません。」(笑い)(P93)

 宇賀恵子さんたちが頑張ってこしらえたオープン・ハートさんたちの人たちの寄り合い所も同じ趣旨にあるように思いました。
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 参考ブログ記事「オープン・ハート交流施設お披露目会」
(オープン・ハートさんたちの交流施設も開設されています。地球33番地のほとりです)


 面白くて引用が長くなりましたが、福祉や介護問題でも」考えさせられました。

 「食事」「排泄」「睡眠」が人間の「自立と尊厳」に深い関わりがあるということは大変大事なキーワードです。都市問題でも防災問題でも常にその3つの尊厳をいかに保つかが大事であり、中心軸であることが理解することが出来ました。

 読み応えのある書籍です。一読されることをお奨めします。

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