「寅さんと日本の民衆」を読んで
「寅さんと日本の民衆」(山田洋次・著・抱僕舎文庫・1998年刊)を図書館で借りて読みました。薄い本なのですぐ読みました。「橋のない川」の作者住江す恵氏との対談形式になっていました。
印象に残ったことは、山田氏の言う「インテリと下層市民との関係」のところでした。
寅さんのロケである地方でお天気が悪くて宿でごろごろした時があったそうです。当時日活映画の全盛期で石原洋次郎原作の「陽の当たる坂道」という映画の紹介記事が映画雑誌にあったようです。主演が石原裕次郎。記事には上流階級に生まれて自由奔放に生きた青年の恋愛物語と書いてあったそうです。
「なんとなくおかしかったんでぼくが読み上げたんです。そばにいた渥美さんが、その上流階級を下層階級と言い換えると寅さんになっちゃいますね、というんです。つまり下層階級に生まれて自由奔放に生きた男の恋愛物語といえば、それはまさに寅さんの物語(笑い)。周りにいたスタッフもなるほどと、大笑いしたんだけど・・・。
「しかし、渥美さんは言葉を続けてこんなことを行ったんです。上流階級の息子の自由奔放というと素敵なイメージが沸くけど、下層階級の自由奔放というと犯罪の匂いがしたりしませんか。寅さんにとっての自由というのは、親の決めた令嬢との婚約に背いて女中さんと北海道に逃げたみたいなことでは決してないだろう。
ほしかったものを店先からかっぱたって逃げちゃったみたいな、彼にとっての自由というとそんな哀しいことになっちゃうんですね。」
(写真は「寅さんと日本の民衆」(P25)
「油断すればぼくたちインテリというのはとかく強い側、権力の側の論理にたってしまう、そういうところがあるんじゃないか、というふうに思う。渥美さんと仕事をしていると、その点で教えられることが多いんです。そういう人間だからこそ、寅さんと言う人物を演じることができたし、これだけ繰り返し映画をつくっても観客は飽きないで見続けていられるんじゃないのでしょうか。」(P269)
あの小泉純一郎政権の頃にインチキ・ゲンジャの竹中平蔵や大手マスメディアどもは盛んに「自己責任」という言葉を使用し煽った。職を失うのも、昇進できないのも、倒産するのも自己責任。なにもかにも自己責任と国民大衆に暗示をかけました。簡単に首切る出来る社会をこしらえ、雇用を不安定にし、賃金を下げ続けました。
その結果日本社会は荒廃し、自殺者は年間3万人を超え続けました。日本政府の無為無策とインチキ・ゲンジャの無責任な煽動が社会荒廃させました。いつの世にも山田洋次氏が言うように知識人はいつも権力の尻馬に乗る連中というのが、よくわかりました。
その言動からして渥美清さんは凄い人であると思いました。
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