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2009.11.12

「覇王の家」を読んで

Haounoiehonm
 図書館で「覇王の家」(司馬遼太郎・著・新潮社・1997年刊)を読みました。司馬作品で知っている作品ではありませんでした。きっかけは家内が昔に録画していたNHKの番組に司馬遼太郎さんが出演し話をされていたからです。

 その番組で司馬氏は「幕末維新期に日本では尊王攘夷主義という粗雑な思想で国づくりをしようとしたが、開国し諸外国と交易した場合の思想的な基盤にはなりえず、明治政府は大変苦労した。結局欧州の制度や思想の張りあわせで明治政府を作るざるを得なかった。」という。
 
 それでも明治の元老は幕末・維新期の動乱期を身をもって体験しているので、謙虚さはあったが、日清・日露戦争に勝利した後の軍部の連中ときたらどうしようもない連中ばかりだった。結果国を滅ぼしてしまった。

 「覇王」は、徳川家康を描いています。不遇で過酷な人質時代と、出身の三河岡崎の風土と人間の気質が、日本の覇者となった江戸時代にも継続され国の体制を規制し形にたとのことです。

 「日本歴史では中国や、ヨーロッパの概念でいう英雄を1人も生んでいない。そのような,神が生んだとしか言いようのない天才的自己肥大の精神や行動を許容して社会を感応し作動する条件が日本の地理的・社会的風土のなかにはすくないたんめであるかもしれない。」(P535)

「彼(家康)の生涯は独創というものがほとんどなかった。自分の才能をかれほど信じることをおそれた人物はめずらしい。しかもそのことが成功につながってしまったという例も、稀有である。(中略)

 室町末期に日本を洗った大航海時代の潮流から日本をとざし、さらにキリスト教を禁圧するにいたる徳川期というのは、日本に特殊な文化を生ませる条件も作ったが同時に世界の普遍性というものに理解のとどきにくい民族性をつくらせ、昭和期になってもなおその根を遺しているという不幸もつくった。」(P536)

 司馬遼太郎さんは思想的基盤や背景をきちんと描くし、研究されている人であると思いました。

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