高知のスーパーの栄枯盛衰
今やスーパーも栄枯盛衰の時代。抜群の収益を誇っていたイトーヨーカ堂も大幅減益。大掛かりな郊外出店で地方の商店街を「皆殺し」(集団殺戮」した「ハゲタカ・スーパー」イオンも減益になる厳しさではないか。かつてのダイエーやサティは解体され、西友や長崎屋も勢いがないようです。
さて高知でのスーパー創業期。高知でのスーパーの歴史に詳しいひとに聴きますと、1号店舗は「高知スーパー大橋通り店」であったそうです。現在は高層マンションになり、1階は地元スーパーのサニーマートが入居しております。
正確な創業年次まではわかりませんが、50年近く前のことであり、大阪の三国でダイエーが創業したこととほぼ同時期でしたとのこと。当時高知市は中心商店街にも勢いがあり、大橋通りは食品販売の「殿堂」。そこへ誕生したスーパーマーケットは大繁盛したようです。代表者はかまぼこ会社の社長であったとか。
そして高知スーパー2号店は、今は更地の旧ダイエー・ショッパーズの場所。オーナーは南国市の製パン業の社長さんであったそうです。(現在空き地は駐車場と用途不明の更地になっています。)
3号店は朝倉。現在の毎日屋あさくら(サニーマート系)。4号店は佐川のサンシャイン佐川でした。
つまり高知スーパーから、サニーマートやサンシャインが枝分かれし、更にはサンプラザも枝分かれして行きました。他の業界と同じように高知の経営者は自己主張が強いのでしょう。
ありえない話しですが、もし「統一」された「高知スーパー」のままで発展しておれば、長曾我部氏のように四国統一し、関西や中国へ進出していたかもしれません。地域ハゲタカスーパーの香川のマルナカや愛媛のフジよりは大きく発展していただろうにとも思います。
協調性がないのは土佐人の特色なのでしょう。分裂したわけですから、当然対抗意識もあり、人事往来もあるので、とても激戦で価格競争は加熱しておりました。
創業者の「高知スーパー」は4年ほど前に廃業しました。仮に大きな企業形態の地域スーパーで生き残っていたとしても、長崎屋やヤオハンのように苦戦していたのかもしれません。なんせかつて日本1のダイエーも滅亡してしまいましたから。
なんだか「スーパー」の時代ももう終わったような気がします。年取ったせいか、昔ながらの店主の顔が見え、おしゃべりしながら買物ができる個人商店街が懐かしいい気がします。でもそれは「かなわぬ夢。幻」なのか。
高知市の元中心市街地を歩いて散策していますとそう思いました。
新聞折り込みチラシのスーパーのチラシ。「特売商品」のチェツクするだけです。「魅力」は感じません。
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