浦戸航空隊碑に秘められた重い歴史
高知市三里地区の職業訓練校(ポリテクセンター)近くに「浦戸航空隊」の記念碑があります。自宅から高知空港や香南市や安芸市へ車で出かける場合、必ずこの記念碑の前を通過します。
ブログにレポートをしたところ、意外にも親しい知人が地域の歴史本を何冊も持参し、貸していただきました。「大平山」という三里史談会が刊行していました。又同時期「高知県朝鮮人強制連行真相調査」の小冊子もありました。
仕事の合間に何冊か読んでみました。すると三里地域に昭和一九年から二〇年の間に、浦戸航空隊が実際に存在していました。当時の詳細な地図もありました。それによりますと、750メートルの滑走路は仁井田地域にありました。
現在の高知医療センターや高知女子大学池キャンパス付近に、航空隊関連の兵舎や関連施設の建物がたくさん建っていた様子がわかりました。
この飛行場は滑走路も短いので、訓練用の施設であったようです。またこの施設を建設するにあたっては、当時日本の植民地であった朝鮮半島から大勢の人達が徴用され、働いていたようでした。
敗戦後現地に米軍がやってきたようでしたが、飛行場としての価値はないと判断され、滑走路は返還され、農地に戻されたようでした。今は施設園芸のメッカになっているようです。
一緒に貸していただいた資料では昭和19年当時の高知県では1万人近くの朝鮮人が居住していたということです。南国市の高知空港近くの飛行機待避壕や、この浦戸航空隊関連施設。
高知県下にある水力発電所やダムなどの工事に多数の朝鮮の人達が動員されたようでした。
(高知県越知町にある筏津ダム。このダムも多数の朝鮮半島から徴用された人達が動員されて建設されました。)
いずれも出版物は今から20年ほど前の1990年前後にほとんど発刊されています。当時の聞き取り調査を行われた関係者の熱意を読んでいまして感じることができました。
重たい歴史なので、年末年始に引っかかったこともあり、なかなか読むことが出来ませんでした。ようやく最近読むことが出来ました。そして三里地域の重たい歴史を知りました。
20年の歳月がその歴史を知るひとも少なくなっていると思われます。やはり歴史を正しく見つめないといけないと思いました。
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