龍馬も龍馬像をこしらえた人も偉大でした
まったくいつの時代(というか司馬遼太郎氏の「龍馬が行く」以来の現象)もそうですが、声高に坂本龍馬にあやかろう、なりすまそうという人達は「いかがわしい。」と思います。本物は声高に言わないもの。
坂本龍馬を熱心に語る人ほど「保守反動」体質を覆い隠す煙幕に龍馬を語っているのに違いないと思う。
高知でも「龍馬を彷彿する観光施設を高知西部跡地にこしらえるために県に購入してもらわんといかん。」と的はずれな署名運動をした人達がいました。だいたい県庁に頼ろうとする事自体が間違い。
(高知県庁は戦前も戦後も県民をばかにする伏魔殿であったのだ。)
坂本龍馬も、その龍馬像をこしらえようと昭和の初期に運動した入交好保さんたちも県庁には頼りませんでした。あの大三菱さえも蹴飛ばしたのですから。
大変な偉業を成し遂げ他にもかかわらず、銅像の裏には「高知県青年一同」としか書かれていません。
それに引き換え、永田町の政治家先生たちの「いかがわしいこと」甚だしい。
邦夫も「なりたい」 政界で大流行「龍馬」依存症のナゼ(ZAKZAK)
坂本龍馬自身も私心がなく、真摯に国の未来を構想し、志半ばで暗殺されました。その偉業をしのぶ青年たちも実に謙虚に、真摯に行動しました。郷土土佐の宝です。
見習うべきはその精神と真摯な心です。
龍馬の名前を語って、「土佐のお客」と称し、宴会をすることだけで、まちづくりにもなんにもなりません。
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