了見が狭ければ広がりはない
市民運動や社会運動では、しばしば「熱心さのあまり」「身内だけで固まり」「異論を排除したがる」傾向に陥る。そうなれば運動拡大は発展しなくなり、世の中を変える力には到底なりえない。そういう事例が多い。身近にもありますね。
異論を排除すると、結局「保守的」になり、標榜する改革思想も陳腐化してしまう。結局日本の左翼運動全体(旧左翼・新左翼も)安易な排他主義に陥り、縮小していったんでしょう。
その結果「新自由主義」の台頭を許し、日本をとんでもない格差社会にしてしまいました。その責任はそれを許してしまった社会運動を展開しているがわにあります。
結局新左翼が70年代から脱却できないうちに、時代は過ぎ2010年になってしまったのです。時代の変化についていけない思想や社会運動は化石です。
今後の「平和・反核・護憲」の社会運動は骨太で、おおらかで、力強く、アートでありたい。なにかを創造しない社会運動は存在する価値はないからです。
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