やってみなはれの精神で
「とにかく、やってみなはれ 西堀栄三郎語録」」(西堀岳夫・著・PHP出版)を図書館で借りてきて読みました。実に印象深い教訓がたくさん書かれていました。
西堀栄三郎氏といえば、子供時代の「西堀南極越冬隊長」の印象がありました。著者は西堀氏の長男で工業デザイナーのひと。身近で観察していたひとだけに、書き留めた「西堀語録」は印象深い。
「やってみなはれ」という関西弁の言葉。サントリーのオーナーであった佐治敬三氏の常套語でしたから、てっきり佐治氏関連の本かなと最初は思ったぐらいでした。読んでうちに、西堀栄三郎氏の壮大なスケールにただただ驚きました。
「検査を通ったから、もはや品質には責任がないというものではない。品質とは客の満足するサービスであるから、その品質が飽きられたり、不要になって捨てられまでは満足なサービスを提供し続けなければばらない。それができなければ、会社はやはり不評判を受けるのである。
検査とはこのように十分なサービスが出来ることを見越して、代用試験をして支払いのケジメをチケるためのものである。検査は単に商取引の手続きに過ぎない。
道義上の品質管理は、捨てられるまでの全寿命中会社が持たなければならない。場合によっては、下取り価格までその会社の品質という言葉がつきまとうのである。」(「品質と責任」P84)
この言葉はトヨタは噛み締めるべきでしょう。豊田章男社長の弁明を聞いていても、西堀氏の境地にいないので、言葉が虚しいし、アメリカの「クレーマー」どもを納得させられない。
トヨタ社長が帰国「顧客目線を強めていきたい」(読売新聞)
(かつて東芝にも在籍した西堀氏。電気釜の発明で有名な会社でした。)
西堀栄三郎氏は、戦前・戦中は東芝の技術者で、真空管の大量生産をにない、戦後はアメリカの品質管理の大御所デミング博士に師事し、日本の製造業に品質管理の概念(TOC)を広めたひとでもあります。当時アメリカはデミング博士をないがしろにし、今日トヨタがないがしろにしたのです。
「昔、東芝(当時、東京電気に入ったとき、よくない会社ということを盛んに言ってくれる先輩がいた、それを耳にしていたにもかかわらず、私は東京電気に決めた。なぜかといえば「そうか、そんな会社か。これはおもしろい。それなら行って、ひとつ大いに暴れたろか」と思ったのです。
私なんかはむしろ「ことあれ主義」の人間かもしれません。けれども、何も人に迷惑をかけるというのが趣味ではない。ただ困難というものに挑戦することをもって自分の生きがいとし、また自分の身の上ともしていたものですから、したがって困難ということがわかれば「よしきた」といって張り切ることになるわけです。
それが、私の一生を通じていろいろなことをさせているいちばんのおおきな原動力になった。」(「ことあれ主義」が原動力 P42)
とにかくマルチな人で、意欲的な人だったそうです。進んでひとのやらないことを実行し、そして困難を楽しみ克服しているパワー。
「未知の分野にとりくむ場合、大いなる勇気が求められる。自信がなければ、未知に対して不安がつのる。そんな時栄三郎は「勇気が自信に先行し、経験が勇気をつくる」という信念で前に進んできた。経験をつむことの大切さを知っているからこそ意欲的であったのだ。」(P2)
意欲的な先人の業績をたどることは楽しい。日本にもレオナルド・ダビンチのような多芸多才な先覚者がいたのだと関心しました。
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