龍馬はパリコミューンより先進的
司馬遼太郎氏は坂本龍馬を評してこう言っていました。
「日本史が所有している「青春」のなかで世界のどこへ出しても十分に共感を呼ぶに足る青春は、坂本竜馬のそれしかない。」(司馬遼太郎「竜馬がゆく」あとがき)
図書館で(坂本龍馬 歴史の波涛に挑んだ青春 学習研究社・1991年刊)を読みました。雑誌風の装丁になっているので読みやすい書籍でした。内容も面白い。
「明治以降の財政を見通した龍馬の慧眼について、大佛次郎氏は「天皇の世紀」(諸家往来)で、パリ・コンミューンの政府が戦費のないのに苦しみながら、市内のフランス銀行の前を素通りして敗北の原因となったと指摘し、それに比べて龍馬は、
表面的な政変(大政奉還のこと)で終わらせず、貨幣鋳造の権利を幕府から、奪う。これが大政奉還の肝心の条件とみていたのである。」(P34)
「1月の初め雪深い福井を訪問。理財に詳しい由利公正と会い、兌換紙幣発行の相談から、新政府経済顧問を委嘱していた。」(P34)
そのあたり入交好保さんも「忘れ得ぬ人々」のなかで書かれています。 パリコンミューンは1871年。明治維新は1868年。同時代に起こった政変ですが、坂本龍馬の先見性、直感力は当時世界水準であったということです。パリコミューンはティエール政権が敵国プロシアの支援を受け巻き返し、無残な結末を迎えます。経済面での発想が乏しかったのが敗因ではないかと作家大佛次郎氏は言っているのです。
海援隊の中に佐幕派の隊員がいて、咎めようとする隊員がいれば、「そうした異物を包容できなくては大きなことはできんぜよ。」といってたしなめます。そういうおおらかさは日本の左翼運動にはありません。「異物」の排除には熱心で権力に立ち向かうことをしませんので。日本の左翼は。内ゲバばかりして消耗し、大衆の信頼を勝ち得ることは遂にできなかったのですから。
関連ブログ記事「了見が狭ければ広がりはない」
ですので「連合赤軍と新自由主義の総括」がわたしの大きなテーマになっているのですから。
武市半平太を断罪した後藤象二郎を斬れという元土佐藩士も多くいましたが、坂本龍馬の清濁併せ呑む器量は「大政奉還」という無血革命を成功させ、内乱につけ込み日本を植民地支配しようとした欧米列強諸国にすきを与えませんでした。
以前にもコメントしましたが、坂本龍馬はGoogle以上にネットワーク力があり、実行力を兼ね備えた珍しい人物でした。
坂本龍馬をそういう観点で見直しすべきでしょう。「観光資源」として「見世物小屋」(あれはNHKの大河ドラマ「龍馬伝」の見世物小屋)を見学しただけでは、本質に迫れないと思いました。
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