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2010.04.24

吉田茂像と高知(龍馬)空港風景

  今朝は早朝5時起床。家内が朝1番の飛行機で旅行をするので,高知(龍馬)空港(アホみたいな名前。どうしてこんな名前にしたろう。気恥ずかしい限りだ。)へ行きました。

 送迎ロビーはNHK大河ドラマ「龍馬伝」に便乗した企画の展示もの。昔のアニメ「おーい龍馬」(小山ゆう原作)のものまである。岩崎弥太郎と中岡慎太郎コーナーも「ついでに」設置されています。看板1枚で。薄っぺらい観光資源です。
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 龍馬伝も舞台が長崎や京都が主体になるので、高知の印象は薄れるでしょうが・・・

 家内を送り出した後で、空港内敷地にある吉田茂氏の銅像へ行きました。この銅像は車を停めるスペースもなにもない。高知にゆかりのある宰相であるのに。せっかくの銅像でありますが、県民各位が業績を偲ぶことすらできません。
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 吉田茂氏の存在は極めて大きい。彼が日本の敗戦後の復旧を担い,経済大国の基礎をこしらえたと言ってもいいです。首相就任時は既に68歳。でも彼の頑固さと、GHQと渡り合う気概が戦後日本をこしあれたのです。

 アメリカは吉田茂の「危険性」を感じ取り、A級戦犯であった岸信介氏を東条英機氏らが絞首刑になった翌日釈放し,多額の工作資金まで与えて吉田茂氏の対抗勢力として養成しました。「アメリカ追随政権」を日本にこしらえようとしたのです。その末裔が清和会でありました。森ー小泉ー安倍ー福田らのこの10年の日本国の首相がアメリカ追随でいかに日本人の尊厳をなくし、国益を著しく損ないました。

 吉田茂氏は,戦後「治安維持法の廃止」に反対したほどの保守反動政治家ですが、意地があり、信念があった政治家でした。

 今年は吉田茂氏が締結したサンフランシスコ講和条約とセットになっていた日米安保条約。その改訂をしたのが、1960年の岸信介内閣の時でした。その日米安保条約締結から50年。

 沖縄に日本の米軍基地を75%も押し付けてきました。沖縄県民はこれ以上は嫌であると,昨年の総選挙で意志を表明しました。沖縄の米軍基地の移転先は見当たりません。そうなると日米安保条約をどうするのか?

 それが問われるのが今です。吉田茂氏の業績を検証すべきでしょう。

 参考ブログ記事

   「吉田茂の爪のあか」を読んで

   
 

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