”懐かしい時代の先輩”からの連絡
その人の声を聞いたのは、24年ぶり。確か九州の人でした。豪快でお酒が強く、いかにも九州男児と言う豪傑のような人でした。
随分昔のことなので記憶は定かではありませんが、1985年に高知青年会議所へ入会し、翌年は日本青年会議所へ「出向」したようでした。「研修委員会」という委員会の委員長でした。確かSさんでした。
1月は寒い時期の京都で「京都会議」というのがあり、青年会議所の1年はスタートします。普通の会員は土曜日から来るとことを日本青年会議所の委員となると木曜日から京都入り。ましてSさんのような委員長は月曜日から京都におられました。
滞在費用や夜は祇園の街での宴会続き。九州男児はお酒にも強く、焼酎で鍛えているので違いました。でも決してお酒を無理強いはせず、爽やかな大酒飲みでした。
3月には玄界灘に近い小倉でふく料理で大宴会。5月には大型連休明けに博多から船で研修しながら中国天津へ。バスで北京へいき、中国の人達との交流をしました。私が初めての外国旅行がこの日本青年会議所での研修委員会でした。
Sさんとどんな話しを当時していたのかわかりません。なんかの記憶があったのでしょう。今回は第23回全国経済同友会セミナーで高知を訪れておられたのでしょう。
1泊2日の慌ただしい日程でしたので、昨日は桂浜で宴会をされて、今日はブータン首相を迎えての「国民幸福度数」の講演会に出られすぐに戻られるとか。
お電話でしかお話出来ませんでしたが、あいかららずお元気そうでなによりでした。メンバーの人達は私を除いては、皆それぞれの地域の経済人としてリーダーになり社業も発展されていることでしょう。
バブリーな時代であの時代にはとても戻ることはできませんが、「得難い経験」をしたと今では思っています。
北京の天安門広場。この写真も1986年のSさんと一緒に船で中国へ研修に行ったとき撮影したものです。当時の中国は1979年の「改革開放政策」の直後で、今と比較出来ないくらいに途上国の印象でした。
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