4.28沖縄デーの再検証を
高校生の時に「4・28沖縄デー」と言われた集会とデモがあり参加したことがありました。高知大学へ集合し,ヘルメットを被って朝倉の電車道から鏡川橋へ。道路は機動隊が封鎖していましたので、歩道橋を走ってわたる。その時に何故が両足に痙攣を起こしてリタイヤ。
脱落して休んで1人路面電車に乗って市役所前へ行きました。旭付近でデモ隊を追い越しました。市役所前の集会には合流し、それから更にデモ行進しました。そしたら今のNTT帯屋町付近で警察の規制がかかり,私の隣の定時制高校生が逮捕されました。警察のマークを受けていたのでしょう。
それで中央公園で集会し解散しました。1971年のことでした。沖縄返還の1年前。なんとも情けない思い出でした。
サンフランシスコ講和条約により、占領支配から日本は抜け出し,国際社会に復帰します。しかし沖縄は米軍の施政下におかれました。以後米軍に強制的に軍用地として土地が接収され、巨大な米軍基地ができました。まさに「基地の中に沖縄がある」状態でした。
琉球新報の記事は語っています。
「1952年から60年代にかけて、日本全体の米軍基地は25%程度に減少した。その一方で、沖縄の米軍基地は倍増、さらに国内全体の基地減少に伴い、沖縄への負担は増加し、現在は日本国内の約75%が沖縄に存在する。」(琉球新報 「4・28沖縄デー 真の主権を考える日に」2009年4月28日)
沖縄の苦悩を忘れるな!ということで「4・28沖縄デー」が始まったのです。今となってはその意味すら忘れていました。情けないことです。
今一度日本人として「4・28沖縄デー」の意味を再検証しないといけないと思いました。
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