今は「歴史の残骸)があるだけの東九反田公園
うちから徒歩で5分足らずのところに、東区反田公園があります。ここにはその昔(幕末)には、参政吉田東洋によって「開誠館」がこしらえられ、幕末維新の変動時期に形態を変え、しばらくは「憲政記念館」という木造2階建ての建物がありましたが、いつしか取り壊され残骸になっています。
高知の歴史散策をされておられる「ひまわり太郎さん」がそのあたり詳しく記述されています。
「幕末、土佐藩はこの場所に「開成館」という富国強兵殖産興業のための施設を置き、様々な活動をします。明治維新後、廃藩置県を控えて、西郷隆盛、大久保利通、板垣退助の三者会談がひらかれたのもこの場所です。その後板垣退助によって設立された「立志社」は、明治7年の設立当初はこの場所におかれました。立志社が新京橋の方へ移ってからは立志社の学校「立志学舎」が置かれ、多くの人材を育てることになり、憲法制定、国会開設に大きな影響を与えました。そこで、この場所に「憲政之祖国」の記念碑が建てられたのですね。」(ひまわり太郎「にっこりひまわり」[275] 「憲政之祖国」本邦初公開 - 2004/01/16(Fri) より引用。
いまは石碑がわずかに残っていてそれを偲ぶしかない。「歴史」はどんどん忘れ去れれるものであると思う。高知県民は私を含め歴史には興味がないのかもしれませんね。
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その昔は堂々とした建物があったようですね。こちらへ明治のはじめ西郷隆盛さんも来ていたと言います。その後は自由民権運動の拠点になったりしておったようです。
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