歴史を振り返って現代社会を見ること
先日図書館で幕末の土佐の絵師である河田小龍についての書籍「河田小龍 幕末土佐のハイカラ画人」(高知県立美術館・2003年刊)を読みました。
非売品なので図書館でないと読めないようです。河田小龍の絵が豊富に書籍には表示されていました。
4月6日の個人ブログに感想文を書きました。
通俗な歴史の理解では、河田小龍は土佐藩の命令でジョン万次郎を取調べ、その記述を文章だけでなく、絵で表現した。
その見聞録が土佐の若者たちに多大な影響を与え、坂本龍馬にも大きな影響を与えていたようです。
わたしも「その程度」の理解でした。
本を読みますと画力も大変なもの。
学問も少年期から漢学の素養があり、幕末の土佐で1000人の門弟がいた岡本寧甫の塾でも頭角を現しておったようです。
後に海援隊の隊員となった近藤長次郎は河田小龍の門弟でありました。
現在河田小龍の自宅跡は、16億円の無駄遣いのシンボル「はりまや橋観光バスターミナル」の施設の片隅にひっそりとあるだけです。本当に高知県人は歴史を大事にしない県民ですね。
また「龍馬伝」で先週暗殺されました参与の吉田東洋。なかなかの才能のある人物だったようですね。
身分の低いエネルギーを持っていた若者たちを束ねていた武市半平太と共存・共闘が出来なかったのが悔やまれます。
凄惨な内ゲバを繰り返していたので、土佐は維新時に薩摩や長州に出遅れたのですから。もったいない。
薩長同盟を成し遂げた坂本龍馬ですら、土佐藩内部の対立は解消することができませんでした。だから脱藩したのでしょう。
ことごとく提言を採用されなかった武市半平太は、吉田東洋の改革路線に反対する土佐藩の保守派と手を組み、遂には部下を使って吉田東洋を暗殺しました。
「龍馬伝」では淡々と描かれていましたが、実は大変な事件でした。土佐にとっては大きな損失でありました。
そのあたり沢山保太郎さんもブログで同様の記述をしておられます。
(吉田東洋が暗殺された場所の碑。追手前小学校東側、中の橋通り沿いにありました。)
「暗殺」(News & Letters 東洋町長日誌」
「だからといって焦燥に駆られて大人物をテロってしまうことはなかったであろう。
結局、土佐藩の維新での活躍は東洋の弟子たち(後藤象二郎、福岡孝弟、板垣退助、岩崎弥太郎ら)と坂本龍馬など土佐勤皇党の残党によって成し遂げられたことを思えば、帯屋町での東洋暗殺は返す返すも残念なことであった。
近親憎悪のような内ゲバは百害あって一利なしだ。」
歴史を振り返ることで、現代社会特に、最近の政治の動向も分析してみると面白いと思います。
私たちはテレビや新聞の報道や、解説を無条件に受け入れるのではなく、疑いの目を持ち、批判精神を研ぎ澄ますべきです。
歴史を勉強することはそのトレーニングになるからです。
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