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2010.05.12

「歴史を動かす力」を読んで

Shibarekisiuhon
「歴史を動かす力 司馬遼太郎対話選集3」(文芸春秋社・2006年刊)を書店で購入して読みました。司馬遼太郎氏の独特の歴史観や戦争体験者ならでの厳しい戦争観なども好感が持てます。

 以前「この国のかたち」を読みました。日本の行く末を心配し、遺言のような随筆でした。

 参考ブログ記事 「この国のかたちを読んで」

 この本に収録されている対談相手は、海音寺潮五郎・志母澤寛・朝尾直弘・江藤淳・奈良本辰也・橋川文三・芳賀徹・大江健三郎(敬称略)。文学者もおれば,歴史学者もいるようです。

 司馬遼太郎氏は、いわゆる左翼的な無機的で単純な歴史観を嫌っています。彼なりの歴史考証や分析で時代を読み取っていくのです。

 海音寺潮五郎氏との対談「天皇制とはなにか」のなかで、司馬氏は「非日本的な明治以後」と言っています。

司馬「マッカーサーが,天皇様に、「わたしは人間である」といってもらったのはきわめて政治的なことで、史的真実から言えば、やはり神です。神であるがために,人民に無害でした。」(P12)

海音寺「天皇家が政治の中心として実際に政治をなすったのは、天智天皇から平安朝の仁明・文徳天皇くらいまでですね。」(P13)

司馬「浮世の実権者として「皇帝」であろうとした後醍醐天皇などがいますが、つまり後醍醐天皇は宋学に影響されて政治の独裁者としての皇帝になろうとした。しかしそういう天皇が出てくると,日本ではかならず乱が起こっている。日本的自然の姿でないからでしょう。

 そこで明治以後の天皇制は,結局,土俗的な天皇神聖観というものの上にプロシア風の皇帝をのっけたもので、きわめて非日本的な,人工的なものです。そうすると日本の天皇さんが皇帝だったのは明治以降八十年間に過ぎないわけで、ながい日本史から見れば一瞬の間です。

 左翼用語でいう天皇制というのは,敵としての幻想や幻影を加味したもので,魔物を魔物らしく仕立てるために,事実性から浮き上がらせてデフォルメしているところが多い。

 そういう多分に作られた「敵像」を通じて日本史を見るという態度は,左翼も捨てたほうがよいと思います。」(P14)

 適切な分析と指摘であると思います。「寄生地主制の天皇制」であるとか、「天皇制ファシズム」という新旧左翼の規定では,日本歴史の正しい姿は見えてきませんでした。

司馬「・・中略。一君万民思想でございますね。結局土佐あたりの侍,郷士ですが、これは百姓か侍か判らないような階級ですが、ここから出てきた人達が彼らを抑圧している階級社会を打ち破るには、天皇をかつぐしかないわけです。

 天皇の元では,将軍,大名といえども民の一人ですから,平等という論理がみごとに出来上がる。天皇を中心にすれば,デモクラッシーでも可能であるというところが、きわめて他の国の歴史における皇帝・王家と違うところです。

 1君万民思想というのは,幕末にあって非常に強いエネルギーをもってきておりますですね。」P32)

海音寺「そうですよ。百姓,町民の中からまで志士がでてというのは、主として一君万民に対する魅力でしょう。
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(高知市桂浜に立つ坂本龍馬像。市井の人民の1人でありました。日本を大きく動かした人物の1人です。その行動力にひかれ、昭和の初期に土佐の青年たちはたちあがりこの龍馬像をこしらえました。

 参考ブログ記事「忘れえぬ人々」を読んで

 維新運動の大効果は2つですね。1つは日本が統一国家になったということ。ヨーロッパはではずっと前に封建制度を脱却して統一国家になったのだが、日本は鎖国のために大分遅れた。それが維新運動の第1目標である日本強化を追及している間に,廃藩置県にたどりつき,統一国家になった。

 もうひとつは、廃藩置県によって,日本人の社会は市民社会になったこと。一君万民という形でね。ヨーロッパはそういう条件のつかない市民社会ですが。

 ともあれ統一国家となり、市民社会となって,日本は初めて世界歴史の本流と合致したのですね。」(P33)

 2010年のNHK大河ドラマ「龍馬伝での志士たちの社会的背景が述べられています。坂本龍馬も武市半平太も,岡田以蔵もみな志士になる社会的根拠があったのです。

 また司馬遼太郎氏原作の「坂の上の雲」の登場人物達の意識も、幕末ー維新期の激動期を経て統一国家日本の先頭に立ち,各分野で頑張り業績を上げる姿を描いています。

 また今日の日本につながる問題も幕末期に出てきています。そのあたりも注目すべきです。

司馬「(中略)その非常なる危機意識と言うのは,日本人の癖ですね。(笑)。

 これはとにかく中国という大国を控え、沿海州を通じてロシアを控え,海の向こうにアメリカをひかえて、そんなにいくつもの大国に挟まれた国というのは、どうしても緊張が強いですね。」

海音寺「寛政期の松平定信の執政時代から,延々と危機意識が続くんですからね。それは敏感なわけですよ。そしてまた、あの頃悪いことをするんですからね。北辺にくるロシアなぞわね。」

司馬「ドイツ人も危機意識の強い国民ですが,東にロシアあり,西にフランスありですからね。

 しかしドイツの場合は,国境に要塞をつくると物理的に問題は解決するんですね。ところが日本は,物理的解決ができないワケでしょう。四界海で茫漠として。」

海音寺「沿海に長城を築くわけにもいかんしね。」

司馬「すると危機意識が悲壮感まで高められて、そこからエネルギーが生まれてくる民族になってしまったんですね。だから明治維新ということは、やはり危機意識で極まったわけですね。

 将軍も、その危機意識というすでに時代の公理にまで高められてしまったものの前に屈服し、自己否定し,自らその地位を棄てると言う,歴史では珍しいことをやった。

 徳川慶喜の偉さと言うよりも、それをやらざるをえないところに日本人と明治維新の特異性がある。」

海音寺「そうです。危機意識です。その危機意識を,最近の歴史学者は余り重要視しませんね。

 封建制度の矛盾とか,鎖国経済の行き詰まりとか,百姓一揆とか,打ち壊しとか、そんなことばかり言い立てるんですが、それだけでは革命にはなりませんよ。

 もっと直接的な,強力な,物理的な力ですね。それがないと革命の火はつかんと思いますね。」(P45)

 確かに現代の日本もアメリカ,ロシア,中国という核大国と国境を接している。沖縄問題が悩ましいのは、沖縄に日本人が130万人すんでいるところに巨大でアジア最大の米軍基地があることです。そのことは幕末・維新期よりもっと大変で深刻です。(米国提督のペリーは幕府が開国しない場合は,琉球を軍事占領するつもりでした。ペリーは2ヶ月間琉球に滞在。その間に沖縄本島すべての湾岸を調査し海図をこしらえていたそうです。
 後日二次大戦時に米軍が沖縄へ上陸した際も活用された可能性はあります。)

 沖縄以外の日本人は、米軍基地の脅威と,騒音と,犯罪性を「抑止力」「国益」ですべて沖縄に押し付けて来ました。

 「沖縄から米軍基地をなくそう」という運動が波及してきますと、今まで沖縄の人たちの犠牲で覆い隠されていた日本の危機的な状況が一気に現実味を帯びるのです。
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 日本人全体の問題で,沖縄普天間米軍基地の問題を考えなければならないのは、そういう軍事大国に挟まれた日本の特性です。宿命といってもいい。

 司馬遼太郎氏の歴史観をなぞっていきますと、現代日本が置かれている危機的な状況もよりわかるというものです。

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