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2010.05.02

「先知先哲」を読んで

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 「先知先哲」なる言葉をパソコンで打つと苦労します。全然出てこない。仕方が無いので「さき」といれて「先」。そんな具合に1字1字変換しないと漢字にならない。パソコンの語彙は極めて貧困です。

 この本は友人である梅ちゃんに借りました。彼の自宅には図書館のような書斎があります。そのなかの1冊の蔵書です。恐らく図書館では眼にする事はない書籍でした。

 以前梅ちゃん蔵書である「忘れえぬ人々」(入交好保・著)を借りまして、個人ブログに感想文を書いていました。「忘れ得ぬ人々を読んで」でした。

 そのなかの1文を引用していました。

「もとより100年も前のことであるから、現代の左翼学生の気に入るものではないが、少なくても当時としては最も進歩的な思想であった。小島拓馬(弘岡出身)博士の著「中江兆民」の書き出しが、「土佐の民権運動は坂本竜馬に始まる」とあるのを見てもわかる。」という入交好保さんの文章がありました。
 
 梅ちゃんが「入交さんがコメントしていた小嶋祐馬(すけま)という人は高知県弘岡出身の偉う人や。なんせ田舎へ引き込んで,吉田茂首相が文部大臣をやってくれと文部次官を派遣した。そしたら畑仕事がせわしい。そんなもの(文部大臣)をやる暇はない。」と一喝した人や。その人のことが書いているんで読んでみたら。」と言われたので借りました。

 2月に借用していましたが、2月3月と4月のはじめは慌ただしく,本を読む時間はありませんでした。最近ようやく読む機会があり読みました。
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 「先知先哲」(竹之内静雄・著・新潮社・1992年刊)です。著者は京都大学哲学科出身であり、長らく筑摩書房に在社し、コメントされている学者とも親交があったようです。

 吉川幸次郎,田中美知太郎、らがとりあげられ、小島祐馬氏に関する記述もまた印象的でした。皆さんとっくに物故者になっている学者ですが、教養があり、見識があり、外国語も堪能で、謙虚ででしゃばらない。「知の巨人」の群像を著者は克明に描いていました。教養ない私には、半分ぐらい理解できない箇所がありましたが、そうであったとしても面白い本でした。

「ひとの知らない文献を振り回して、新説らしきものを主張するのは,学問ではない。誰でも見ることのできる文献を、ひろく深く読んで,前人未発の真実を見いだすのが,学問だ。」(P187 小島祐馬)

 小島氏は大変な教養人。英語。中国語,フランス語に堪能。原書でマルクスなども読み、先輩格の河上肇氏とも親交がありました。彼の著作のサポートもされたとか。

「今日の危機は要するに利益社会の行き詰まりであります。この行き詰まりを打開し、今日の危機を救う道は,共同社会への復帰以外に方法はありません。もしそれができなければ,世界には永久に平和の来る道はありません。(中略)

 いかに困難だからといって、これをそのまま放置することはできますまい。」(P298)

 筆者はこうも言います「小島博士は,適正な自己抑制と価値判断なくしては,人類の絶滅を防止することは不可能と説いたのであった。真の幸福は,その上に実現されうる、として」(P298)

 強欲の限りを尽くした新自由主義なる経済テロリストどもが、跋扈した結果は,世界の格差社会と止めようbのない貧困と対立を生み出しました。アメリカの論理で「テロは制圧」されるわけがない。アメリカは考え方が間違っているのである。

「利益社会における,経済的価値の無制限な追及は,遠からずし人類を滅亡にみちびくであろう。今日の世界的危機は,要するに利益社会の行き詰まりである(政倫雑筆)と、小島祐馬博士(1881-1966)は言い遺して世を去った。(P307 あとがき)

 小島氏の「予言」は当たっています。小島氏の晩年の日本は、新幹線が開通し、東京五輪も成功し、皆が経済発展に酔いしれていた時代でした。見事に「行く末を」,高知県春野町弘岡にリタイヤしながら、畑のなかで見ていたのです。
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 また田中美知太郎氏は、ギリシャ・ローマ文明を研究していた観点から昭和16年の開戦当時に「この戦争は日本は必ず負ける」と発言していました。

「国家の行動は,個人の場合と同じように,真に国家のためにあるところのもの認識に立脚しなければならないのであって,架空虚偽の目的のためにみだりに国運を賭すがごときことは、厳にこれをお戒しめなければならぬ。

 そしてかかる危険から国家を救うものがすなわちロゴスの吟味であって,国民的自由の第1要件である言論の自由ということも,他面またこのような目的のために必要なのである。

 しかしそれにはまた大衆のいかなる喝采によっても欺かれない自由独立の批判的精神を要するのであって、もしそれを欠くならば、ペロポネス戦争期のアテネィ民主政治がその1例を示しているように,言論の自由も国家のために何ら賢明の道を示すことにはならないのである。

 言論はデマゴーグの手中に握られてしまうからである。」(田中全集)P69 田中美知太郎)

 田中美知太郎氏の発言は,日独伊3国同盟を締結,1939年にドイツがポーランドに侵攻した時期での発言でありました。

 今の日本にしても,言論はデマゴーグ=談合記者クラブ・マスコミの手中に握られ,国民は真実を知らされないでいます。同じような現象に警告を鳴らしていたことが理解できました。

 お固い本かと思いましたが,一気に読めました。

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