養老孟司さんは面白い 2冊読みました
最近はくだけた本を読みたいので、図書館で解剖学者の養老孟司さんの本を2冊借りて読みました。
「話せばわかる! 養老孟司対談集 身体がものをいう」(青流出版 2003年刊)を読みました。音楽家や漫画家、登山家など解剖学の業界とは全く異なる異業種の人達との対談をされています。
養老孟司と宮崎駿氏との今年初めのテレビ対談があり(養老氏は京都精華大学の講師もされているとか)、関心したことでした。
「自分探しなどする暇があったら、自然のなかにいて、五感六感で感じて得られるものが多いから。」
「家でアニメばかり見ているだけでは駄目。森へ行ったり外遊びしないと駄目だ。」と言う年老いたガキ大将2人の対談が面白かったからです。
養老「つまり猿から人間になって、森の中を三次元的に移動するようになった。体つきの1番大きな変化が後足に頭を乗せたことなのです。」
田部井 人間の特色は”歩く”事で、考えるとか。そんなことじゃない。(笑い)山歩きをしていて、ふと振り返って「あんな遠くから歩いてきたんだ」とよく思うのです。人間てしごいなと。」(田部井淳子・「人間は歩く動物」P46)
養老氏は自然体験の大事さ、体が感じる力の大事さを述べています。このあたりは共感出来ます。
天野「 テレビと言うのも、かなりの部分はしゃべっているから、一見話し言葉のように思うけど、大半は書き言葉ですね。ただそれを音声化しているだけ。しかも一方的に流れてくる。
見ている子どもが笑おうが、怒ろうが、勝手に進行して、そこは先ほど言われた、やりとりというものがない。」
養老「そういう意味で、口承文化、口で語って、それを耳で聴くという、小さい時のそのトレーニングが、現在は不十分なんじゃないか」(天野祐吉・「言葉の響きと黙読」・P159)
また「運のつき」(マガジンハウス・2004年刊)は、養老氏の自伝的な随筆。
人間はどうせいつかは死ぬのだから。という淡々とした考え方。解剖学と言う学問は死体を相手に研究してきたのだという世界観をご披露しています。そう言われればそうなのです。
40年近く経過して(2003年当時)、東大医学部で助手をしていた時代に、全共闘運動に遭遇し、それを未だに考えている。「あれはあんだったんだ。」と。そこが面白い。養老孟司氏は全共闘でもなんでもなかったんですが、「あれはなんだったんだ」と未だに考え続けているところはいいですね。
わたしも全然知りませんでしたが、東大医学部で紛争がほぼ終結するには、おきてから20年近くかかっていたのです。
「山本義隆の「磁力と重力の発見」という本が、新聞社の賞をダブル受賞したとき、わたしは両賞の選考委員でした。受賞には賛成しましたが、選評は拒否しました。いいたくないんですよ。
まだわたしのなかで、あの騒ぎは決着がついていませんからね。山本義隆個人に対して、べつに感情的になっているんじゃありません。ただしあの事件、それをめぐるすべてに対して、感情的になっているのかもしれないと思います。
ね、こういうふうに、遅いんですよ、私の反応は。」(「お勤めご苦労さん」P65)
「こうした背景があって、わたしはいわゆる原理主義について、真剣に考えるようになりました。
なにか怪しい雰囲気 と書きましたが、それはいま「原理主義」と呼ばれているものと関係してきます。どう関係するかって、「関係すると感じられる」んですよ。
それは殆どの人が理解しているはずです。特攻になる雰囲気、自爆テロになる雰囲気、サリンを撒く雰囲気。それは日常にはあまりないですが、まったくないわけでもない。その「なにか」が、ごくフツーの人を極端な行動に導いていく。
中略・・・・・・
どんなに「正しい」目的で行われていることであっても、ある種の「うしろめたさ」を欠いた社会運動をわたしは疑います。疑うことが、いわばクセになったんです。ここでいう原理主義とは、なにかを絶対的とみなすということです。」({主義者たち」P125)
わたしの社会思想のテーマである「連合赤軍と新自由主義の総括」にも関係する考え方で参考になりました。司馬遼太郎さんの独特の帝国主義論・歴史観とともに、「目から鱗」的な発想法でありました。硬い頭が少しは柔らかくなったかもしれません。
| 固定リンク
コメント