外国人看護師・介護師を粗末にするな
フィリピンやインドネシアから日本へ来ている看護師や介護師たちが、日本語による国家試験に合格できず失意の帰国をしているようです。実にもったいないし、失礼な話ではないかと思う。
「日本で看護師」断念の帰国続々…漢字など壁」(読売新聞)
彼ら,彼女らは「学生」や「留学生」として日本へ来ているのではありません。実務の医療・介護現場で働きながら、オフの時間に日本語を勉強し、しかも日本語国家試験に挑戦しているのですから、おもは無茶苦茶な話です。
真摯な勤務態度は好評と聞いています。母国語や英語で試験を受けれるようにして、何度でも挑戦できるようにすべきでしょう。
わたしも介護現場で研修したことがあります。想像以上に疲れます。まして異国の地で現場労働をして、しかも日本語の履修と国家試験への挑戦とか。とても無理です.日本人でも働きながらの合格は難しいのに、
早急に検討すべきです。
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コメント
nogaさんコメントありがとうございました。
英語でのコミュニケーションですか。それが必要ない社会でした。日本語力だけで生活できる「幸福な」時代であったのでしょう。
田舎者は英語力がからきしありません。最近は海外旅行からもとんといきませんので、余計に必要性がなく鈍感になっています。
反省しないといけないです。
投稿: けんちゃん | 2011.02.12 17:57
我々日本人は、英語を通して世界中の人々に理解されている。
かな・漢字を通して理解を得ているわけではない。
我が国の開国は、英語を通して日本人が世界の人々から理解してもらえるかの努力に他ならない。
我が国民のメンタリティを変えることなく、ただ、法律だけを変えて交流したのでは、実質的な開国の効果は得られない。
この基本方針を無視すると、我が国の開国も国際交流もはかばかしくは進展しない。
この基本方針に関して、我々には耐えがたきを耐え忍びがたきを忍ぶ必要がある。
英米人は、「我々は、どこから来たか」「我々は、何者であるか」「我々は、どこに行くか」といった考え方をする。
我々日本人にしてみれば、奇妙な考え方であるが、彼らにしてみれば当然の考え方になる。
それは、英語には時制というものがあって、構文は、過去時制、現在時制、未来時制に分かれているからである。
3時制の構文は考えの枠組みのようなものとなっていて、その内容は白紙の状態にある。
その穴埋め作業に相当するものが、思索の過程である。
ところが、日本語には時制というものがない。
時制のない脳裏には、刹那は永遠のように見えている。
だから、構文の内容は、「今、ここ」オンリーになる。新天地に移住する意思はない。
思索の過程がなく能天気であるので、未来には筋道がなく不安ばかりが存在する。
TPPの内容に、行き着く先の理想と希望がないので改革の力が出せない。
必要なものは自分で手に入れるのが大人の態度である。
だのに日本人には意思がない。それで、意思決定はできない。無為無策でいる。
常に他力本願・神頼みとなる。
意思がなければ、意思疎通もはかどらない。それで、察しを遣う。
だから、日本人の独りよがりは避けられない。
http://e-jan.kakegawa-net.jp/modules/d/diary_view.phtml?id=288248&y=2009&m=11&o=&l=30
投稿: noga | 2011.02.12 17:15