「太陽の子」を読んで
小夏の映画会で「太陽の子」を8月6日に先に鑑賞していました。沖縄出身の家内が、「原作はうちにあるよ」というので読みました。
「太陽の子」(灰谷健次郎・著・理論社・1978年)です。読むと映画は原作に忠実に描かれていました。少しだけ場面が異なる箇所もありましたが、気にせず読みました。
特にキヨシが、主人公の元気な女の子ふーちゃんと一緒に歩いていると昔の不良仲間に絡まれる。再び仲間に入れと言われてもキヨシはかたくなに拒否。殴られても反撃せずなすがまま。じっとキヨシは耐える。
しかし不良仲間の1人が「やっぱし沖縄モンは根性がないのう」と言うのを聞いて、突然反撃。相手に大怪我をさせてしまう。警察に連行されてしまう。キヨシは頭に怪我をしていたため、手術をすることになった。
回復してくると警察の取調べがキヨシの病室にも及んだ。ある日3人の警察官が来た。キヨシの母親と、ふーちゃんとろくさんというふーちゃんのお店の常連の温厚な沖縄出身のおじさんもいました。
警察の取調べでキヨシは激昂。警察官も身構える。その時両者を制したのが、温厚なろくさんでした。これを見ろ!と言ってろくさんは衣服の上半身を脱ぎました。すると左腕の先がありません。
「俺はこの手で日本軍の命令で自分の子供を殺した。鳴き声で米軍に見つかるからと。そして手榴弾で自決をはかった。俺も人殺しだ。俺を逮捕しろ。と静かに言いました。
そのあたりは、けいすけさんのブログに詳しく記述されていますので、是非参考に読んでください。
この本で印象に残ったのは、キヨシの以下の言葉です。
「・・・中略 ふうちゃん、おれのかあちゃんはな・アメリカの兵隊に乱暴されて、そいつの赤ん坊を生んでしもうたんや。おれのとうちゃんにすまんというて生んだ赤ん坊やったけど、生まれるとすぐ死んでしもうたそうやから、かあちゃんの決心はなんにもならんかった。
ふうちゃん、おれの生まれた家は、今、アメリカの基地の飛行場の下やで。とうちゃんの人生もかあちゃんの人生も基地のためにめちゃくちゃにされてしもうた。
アメリカの基地は日本を守るためにあるのやそうやから、おれの家の不幸をふみ台にして日本人は幸福に暮らしとるわけや。ええ気なもんや。そんな幸福はどこかまちごうとる。そうおもわへんか、ふうちゃん。
沖縄の人間はもっと日本人に文句をいうたらええーだれでもそう思うところやけど、じっさいふうちゃんのおとうさんや、ろくさんのおっちゃんみたいに、なにひとつ文句をいわん人が、大部分の沖縄の人間やろ。^
ーけどふうちゃん。ふうちゃんのおとうさんやろくさんのおっちゃんの持っているやさしさは、いつかきっと日本人のお手本になるとおもうのや。
おれが、てだのふぁ・おきなわ亭にきてだんだんまともになってきたように、日本は沖縄の心にふれて、だんだんまともになっていくのとちがうやろうか。そやなかったら日本は死ぬだけや。・・・後は省略」
この小説は1978年に公表されています。それから32年経過しても,日本人全体の沖縄への関心は低いままだ。
ある意味鳩山由紀夫前首相は、沖縄問題を「日本人全体の問題」にした「功労者」(皮肉にも)です。自民党は「せっかく辺野古で決まっていたのに、民主党は余計な期待を沖縄の人達にもたせ、結局アメリに押し切られ元の辺野古案になってしまった。」
そうは言いましても今や沖縄の自民党までが、「普天間基地の県外移設の推進。県内移設反対」を唱えないと当選できないのです。
確かに鳩山前首相は「沖縄の心にふれて」まともになろうとしましたが、周辺の圧力に負けて腰砕けになりました。とても残念です。
沖縄の問題は簡単ではありません。でも本土の人間は沖縄の人たちの声に真摯に耳を傾け、解決策を「国民として」考え、実践しないといけません。
今年の11月は沖縄県知事選挙があります。現職の仲井真知事は出馬します。対抗馬としては普天間基地の地元で、基地の海外移転を早くから指摘している伊波洋一・宜野湾市長が出馬するようです。
1998年の沖縄県知事選挙では、辺野古沖の埋め立て署名を拒否した現職の太田知事を落選させるために、当時の自民党政府は官房機密費まで使い、相手陣営を支援したとも聞いています。
民主党政権は、自民党前政権と同様に「干渉」するのでしょうか?それをすれば沖縄への冒涜となります。
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