安岡章太郎「わたしの20世紀」を読んで
作家の安岡章太郎氏。高知県出身の文学者だそうですが、作品には関心がなく読んだことはありませんでした。「わたしの20世紀」(朝日新聞社刊・1999年)のエッセー集を図書館で借りて読みました。
安岡氏が生存してきた昭和史を、趣味の映画鑑賞のなかで語るという著作でした。見ていない映画がほとんどですので、共感できる部分が少ない。
「駅前の東横食堂の周辺には、いつも巨大な秋田の老犬がいた。白い毛が灰褐色によごれ、首環にハンカチが結びつけてあって,通りがかりの人がそれに小銭を入れていくようになっていた。
その老犬ハチ公は、それから1,2年後には死んで,銅像に生まれ変わった.同じ頃,道玄坂の舗装も完成し,東横食堂は発展してデパートになった。」(ものいわぬ街 P33)
安岡氏は昭和の初期の渋谷を1部表現していました。忠犬ハチ公は有名でしたが、実際に目撃していたひとがいたとは。南極に置き去りにされた犬となんだか印象がダブってしまう。
「ところで渋谷だが,渋谷は昔のものが消えただけではなく、そこになにか場違いなものを持ち込んで、どうにも近寄り難い,妙な街になり変わってしまったようだ。
いやひとは結構集まっている.表通りにも裏通りにも,どこから湧いたのかと思うほどの大勢の若者が,道に零れて歩いている。
それが女も男も、なぜか揃って恐ろしく無表情なのだ。たぶん彼ら自身、こんな街に何しにやってきたのかわからない気持ちではないか。ー一体,渋谷はいつからこうなったのだろう?」(P37)
人は増え繁華街になったものの、無表情で場違いで,不気味なと筆者は表現しています。
最近東京へも行ったことはないが、たぶんそうなのでしょう。
1989年頃に観光旅行でニューヨークへ行き、東京へ戻り渋谷へ行ったことがありました。ニューヨークの多種多様な人種が通りを違和感なく歩いている光景に慣れてしまうと、渋谷も大勢の人が歩いていたが、日本人ばかりの光景には違和感をおぼえました。なんかそのことを思い出しました。
| 固定リンク
コメント