映画「執炎(しゅうえん)」を鑑賞しました
朝は夜須の海へ行きました。午前中で撤収しました。高校野球の決勝戦で沖縄の興南高校を応援していました。午後の3時からの映画を鑑賞するためにあたご劇場へ行きました。
昭和39年制作の白黒映画「執炎」ですが、かえって情感が出ていました。海の漁村と山村の生活と風景が克明に描かれていました。時代の設定は昭和の10年代から終戦の時代まで。
主催者の田辺浩三さんによれば「この映画はDVDも発売されておらず、映画館でもテレビでもまず鑑賞することの出来ない秀作です。
戦争中に出生した夫を心配する妻の強い想いを通じて反戦の表現するため昭和39年(1964年)に制作された純愛映画です。ぜひ女性の人達に鑑賞していただきたい。とのことでした。
その同時代といえば、わたしらは小学生。東宝映画の「ゴジラ」「若大将=加山雄三」「クレージー」「駅前シリーズ」の全盛期。いずれも高度成長を謳歌する映画ばかりです。
その時代にいぶし銀のような映画が制作されていたのですね。感心しました。
(映画は2人の海での供養のシーンから始まります。)
ある時網元の若大将卓治(伊丹十三)は、船をつくる為の材木を調達するために森へ入り、帰り際に平家の落人の子孫たちひっそりと暮らす山村を訪れる。ちょうどその時はお祭りの最中。若い娘のきよの(浅丘ルリ子)と知り合いになる。
時を経て2人は恋愛関係になり、結ばれるためのハードルは高かったが2人の真摯な姿勢が周りを動かし、祝言をあげることができた。
(2人で海でデートしている時が幸せな時期であった。)
しかし当時の日本は戦争中。夫卓治にも召集令状が来た。きよのは若女将として毅然と見送り、留守を気健気に守った。
ある時卓治が怪我をし、佐世保病院で闘病中であることを知る。きよのは駆けつけ卓治を励ます。医師は右足切断を言うが、きよのは「私が治す」と言い張り、2人で闘病し,退院した。
「平家の一族は自分たちで傷を癒してきた.卓治さんの怪我は私が絶対に治す」と発言し、決意を周りに示しました。
リハビリのために2人は山村で小屋を立て,懸命に歩行訓練を繰り返す。懸命なリハビリのために卓治の体は奇跡的に回復した。
2人は炭焼きをしたり、「えいろうか」と思うぐらいに「愛を確かめる」ことをしていました。浅丘ルリ子さんも可愛い女性として描かれています。
しかしあろうことか、せっかく戦争での傷の癒えた卓治に3度目の召集令状が来ました。そしてついに帰らぬ人になりました。
きよのは戦争が終わり人々の生活がかわろうとするときに、卓治が亡くなった海で入水し自殺しました。
あれほど女性に慕われた男は幸せものであると思いました。
せっかく奥さんの奇跡的な努力で治った体を,再び招集し,殺害する国家権力に対する憎しみが、映画を観た後で湧いてきました。
田辺浩三さんいつも日本映画の名作を見せていただき感謝いたします。
明日(22日)は、切腹と言う映画が、同じく小夏の映画会(田辺浩三さん主催)で上映されます。こちらもなんとか鑑賞したいと思います。
8月22日(日曜日)は、高知市龍馬の生まれたまち記念館にて、日本の時代劇の傑作と言われている「切腹」(小林正樹・監督)の上映をいたします。
(作品) 「切腹」(松竹映画)1962年
(上映日) 8月22日
(場所) 高知市龍馬がうまれたまち記念館
(料金) カンパ制(1000円以上お願いします)
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