世界の”高度紙”の伝統は健在
8月5日は野村證券のホールでの「会社説明会」に行きました。高知県では珍しい世界に展開しているニッポン高度紙。鎮西正一郎代表取締役社長の講話を聞きました。一応個人株主でもあるので、年休をとって行きました。
最初に野村證券高知支店長の挨拶がありました。「欧州の財政不安と、米国の景気後退の懸念があり、企業を取り巻くリスクがある。
7月1日発表の日本銀行による高知県金融経済概況では景気は厳しい水準にあるが、生産や観光を中心に持ち直している。
海外経済の改善と竜馬ブームに伴う観光需要の盛り上がりか改善しています。
今日は高知の上場企業の会社説明会を開催し、企業の現状、将来展望を傾聴してください。」とのことでした。
鎮西正一郎社長は先ず、ニッポン高度紙の沿革を説明されました。
創業は1941年(昭和16年)です。土佐手漉き和紙をベースに水に溶けないビスコース加工紙を開発しました。薬の煎じ袋でした。
1943年(昭和18年には、電解コンデンサ用紙が誕生しました。
1954年(昭和29年)から、電解コンデンサ用紙の専業化に進みました。
1961年(昭和36年)に「密度の高い紙(長網)と密度の低い紙(円網)を同時に抄紙する方法」を開発し.コンデンサー用セパレーター二重紙が誕生しました。日本のエレクトロニクス産業の成長と共に、ニッポン高度紙の成長もありました。
次に現況と、製品開発動向の説明がありました。
2010年3月現在で従業員は408人。(本社247人)、安芸工場(71人)、南国工場(59人)です。売上高は134億円です。
2008年の「リーマン・ショック」ではわずか2ヶ月で売上が25年前の水準まで低下しました。最近は予想もできないレベルで業績は「V字回復」しています。
フル稼働状態(95%)です。
主力製品のアルミ電解コンデンサですが、大きさはボールペンぐらいです。1・5ミリ幅のコンデンサーに、1.4ミリ幅のコンデンサーセパレーターがはいっています。
現在アルミ電解コンデンサーのシェアは世界の6割。電気二重層コンデンサーは97・9%、導電性高分子コンデンサーは98%の占有率です。
TV,PC,自動車、家電製品、通信機器.産業機械に使用されています。
ただ現在リチウム電池に関しましては、大手のフィルム・メーカー4社の独占状態です。耐久性と耐熱性に優れた弊社のセルロース系セパレーターで今後は攻勢をかけていく予定です。
リチウム電池は大型輸送車輌、産業機械、ハイブリッド.カー、電気自動車、電池パックなど、定量蓄電装置などです。
環境・省エネ市場の成長と共にニッポン高度紙もともに成長していくでしょうとの話でした。
講演終了後会場参加者からの質問がありました。
Q 「電解コンデンサーの納入先はどんなところでしょうか?」
A「日本ケミコン、ニチコン、ハビコン、パナソニック系。ニダチAICなどです。」
Q 「貴社の業績が良いことがわかりましたが、株価が下がることがあるのは何故なのか?」
A 「円高の影響もあるでしょう。業績とは関係ないので、どうしようもありません。」
また危機管理の質問もありました。
Q 「新潟中越地震の時に、日本ピストンリングが大きな被害を受けました。トヨタ自動車が1週間も生産ラインを止める事態に。
高知県は南海地震が起こります。工場の分散などもしないといけないのでは」
A 「災害時に事業を手早く再構築するBCP(事業継続計画)も進展中です。まだ言えませんが10日後に事業展開の重大発表をするつもりです。」とのことでした。
平日の昼間でしたので、年配の人達が多かったです。普段はいったことない場所なので、刺激を受けました。
14年前に逝去されました岡田盛前会長の講演も聞いたことがありました。
「我々は小さな企業だ。大手がやれないこと、やらないことをやるしかないのだ。そして+1のことを実践する」
「月例会議は無意味.過去の数字だから。常に今からどうすると考え行動しよらんといかん。
地球のことを考える.世界のことを考える。日本のことを考える。高知のことを考える。そしニッポン高度紙はどうあるべきか。
グローバルに考えて、ローカルに行動すれば間違いは少ない。」
「とにかく利益をあげたら、研究につぎ込んで新しい製品を開発せんといかんのだ。本業以外のことをしたりする余裕はない。小さな企業は特色を常に出さないと消滅するから。」
おそらく20年ほど前の講演会だったでしょう。いまでも覚えています。進取の気概に富むその精神は、現在の経営陣にも継承されています。
(画像は当日配布されました「ニッポン高度紙工業株式会社 第80期株主通信」と「ニッポン高度紙工業株式会社 Profile」より掲載させていただきました。)
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