「大逆事件を生きる」を読んで
大逆事件について少し関心が出てきました。明治の後期の巨大な「冤罪事件」であった大逆事件。巻き込まれた当事者の1人で生存者の坂本清馬氏。「坂本清馬自伝 大逆事件を生きる」(編者 大逆事件の真実をあきらかにする会・新人物往来社・1976年刊)を図書館で借りて読みました。
古びて中も変色しているところは時代の流れを感じます。大逆事件は1911年1月25日に「大逆罪」を適用し、幸徳秋水ら12人を死刑、坂本清馬ら12人を無期懲役、2人を懲役11年の判決を下した100年前の大冤罪事件です。
幸徳秋水と同じ高知出身の坂本清馬氏。家は貧しく学校へもなかなか通学できない少年時代。真摯でありながら喧嘩早く、短気でいごっそうの気質が一生を貫いておられました。
25年も収監され、50年以上も無実を叫び続けた坂本清馬氏。高校生時代だったか、地元新聞に坂本清馬氏に関する記事を読んだことがありました。高知にもこんな一徹の人がいたのかというのがその当時の感想でした。
その後関心が遠のき大逆事件については忘れていました。事件が起きた1910年当時といえば、韓国を併合し,日本が帝国主義路線を歩み始めた時代でありました。大逆事件は当時の反体制運動をささいな事も含めて一網打尽にし、自由に発言が出来ない強権国家への歩みの転機となる事件でした。
自伝では幸徳秋水や堺利彦、大杉栄,管野スガらとの交流の様子も描かれています。
「清馬のような名もない貧しい人民の子がどのようにして社会運動家に育っていったか。そして国家権力謀略が、どのような1人のすぐれた若者の人生をめちゃくちゃにしたが、かれは仮出獄後,戦時中に転向したのにもかかわらず、それによって人格破産者にならず,立ち直り、あらたな社会改革をめざしてたちあがったということを、この自伝は物語っていると思う。」(色川大吉・序文・P6)
生涯をついてまわった貧困のなかで、バランスを崩さず、よくぞ社会運動家としての人生をまっとうされた精神力には感服します。
来年は大逆事件100年の年。幸徳秋水らの業績をたどってみたいと思います。
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