坂本龍馬と後藤象二郎
NHK大河ドラマ「龍馬伝」でも10月3日放映は「清風亭の対決」ということで、長崎で、本来は敵同士であった坂本龍馬と後藤象二郎が歴史的な会談をし、和解し、両者が結託する。「大政奉還」という大仕事をやってのけるのであります。
そのあたりは、「龍馬読本」(龍馬生誕150年記念事業委員会・刊)に著書の入交好保さんが独特のトーンで書かれています。なるほどそうだったのかと感服しました。
以下引用初め
「ここで少し竜馬と後藤の因縁について述べておく。土佐勤皇党党首武市半平太瑞山は(1865年ー慶応元年)5月11日切腹を命ぜられたが、この判決を下したのは後藤である。
また(1862年ー文久2年)土佐藩参政吉田東洋を暗殺したのは土佐勤皇党武市の配下であり、吉田東洋は後藤の叔父である。しかも武市と竜馬の家は親戚の間柄であるという極めて因縁の深い2人であった。
このようないわば仇敵の間柄であったにも関わらず、初会見において一言もこのような古い問題に触れず、ただ日本の将来について語り合い、まるで古くからの友達であったという。
これから竜馬と後藤は一気に大政奉還という無血革命に向かって走り出す。竜馬はこの土佐藩の若き実力者であり、かつ容堂公お気に入りの参政後藤象二郎に向かって以下のように説き進める。
まず山内容堂の名において、将軍徳川慶喜に大政奉還を勧告せよと説く。
これが今日土佐藩が生きる唯一の道であると説く。
薩摩や長州は関が原の合戦以来の恨みがあるが、山内家は違う。
むしろ反対である。関が原の功績によって徳川にとりたてられ、6万石の小藩から24万石の大名になった、山内一豊以来の徳川恩顧の家柄である。薩長のようには動けない。
今や幕府は第二次長州征伐において長州1藩を相手にしてさえ息がきれておるではないか。それが薩長連合ができた今日では絶対勝ち目はない。
倒幕の密勅はいつ薩長に下るかわからない。そうなれば徳川は,朝敵汚名をきて敗退することになる。そのときに自ら進んで270余年の武家政権を朝廷に奉還する。
これが徳川を生かし、土佐藩が生きるただ1つの道ではないかと説く。
更におそるべきは外国の干渉である。もし国内に戦争が起きれば、イギリスは討幕派に、フランスは徳川に味方するであろう。
そうなった場合は阿片戦争の清国と同じである。それを考えるとき,遥かに徳川に大政を奉還せしめて、無血革命。これ以上に道はないと思うが、後藤さんどうだ」と説く。
引用終わり P42
龍馬伝の10月3日放送分では、龍馬と後藤双方は会談が決裂すれば、お互いを切り殺す算段で会ったようで、別の部屋に両者の部下たちが刀を抜いて待機していたようです。
過去の遺恨を捨てた龍馬の決断が後藤象二郎を動かし、日本社会は劇的に変化することになったのです。そのあたりの「歴史の転換点」は面白いですね。
さすがに入交好保さんは的確に表現されているなと思い関心しました。
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