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2010.10.02

「幸徳秋水と片山潜」を読んで

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「幸徳秋水と片山潜」(大河内一男・著・講談社・1972年刊)を図書館で借りて読みました。最近郷土の偉人である幸徳秋水に興味を持っていますので。

 幸徳秋水と片山潜は明治時後期代の日本を代表する社会思想家であり、活動家でした。しかし遂に思想的な対立からともに戦線を組むことなく、強権的な明治政府の取り締まりに微弱な当時の日本の社会運動や労働運動は潰えました。

「日露戦争後、「非戦」を旗織にして結集してきた社会主義者たちが、「非暴力」方針をめぐって秋水と潜とを両極として分裂し、対立し、罵倒しあいながら、それぞれが取り返しのつかない深傷を負ってしまった事実についてである。

 幸徳派は「無政府共産」の「直接行動」に突き進み、片山派は普選を目指す合法的な「議会政策」に固執して、双方とも譲らず、妥協の余地も共通の言葉もなくなってしまった。

 左派はますます左派的に、追い詰められたものの反発ろして、ついに「爆裂弾」を抱いた「志士仁人」の集団として敵前にフンシしたのはなぜか。

 そして右派はますます右派的になりながら、「大逆事件」の返り血をあびて解体したのは何故か。

 日本の運動史を振り返ると、日本ではどの時代にも、「直接行動」を叫ぶ左派が優勢で同志の数も多く、世上に訴える力も大きいのに反し、合法主義を旗印にする右派はつねに魅力のない少数派でしかないのは何故か、しかもこの2つのものの「力のバランス」の不均衡が日本の労働運動の特徴でもあり、不幸でもあった。」(P4 まえがき)

 著者の大河内氏は、詳細に幸徳秋水と片山潜の軌跡をたどっている。当時の社会では2人ともスーパーな能力があり、国際人であったのに共存することが最後まで出来なかったとレポートされていました。

 当時から100年経過した日本の社会運動でも左翼勢力は力も社会的な信用を失いました。やはり「遺伝子」として排他性や協調性のない未熟な運動体の宿命があるからなのでしょうか?考えさせられました。

 やはり「面白くない」社会運動は受け入れられないと思いました。

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