ヨットは生涯の友人である
所詮は遊びであり、休日のたしなみに過ぎない下手なヨット遊び。ディンギーという組み立て式の小さなヨット(大きな遊具)ですが、今年で遊びだして25年を迎えました。
最低あと25年は遊びたいと思います。ということは80歳を超えて遊んでいるという状態になります。
これは「生涯現役」「ユニバーサルな社会」にならないと実現不可能な「課題」でもあります。
ヨットを始めた1985年当時。夜須海岸は砂浜と護岸堤防しかありませんでした。夏になるとサーファーと一緒になって海で遊んでいました。
1987年にマリンタウン計画という海の開発計画が公表されたときに、当時の高知青年会議所で取り上げ、研究し、連続セミナーを企画し、アメリカ研修ツアーも実施しました。
微力でしたが、現在あるヤッ・シーパークとYASU海の駅クラブの設立には、1ヨット愛好者として関与できたと密かに誇りに思っております。
昨日(10月23日)のセーリングは、ヨットは初心者のTさんとNさんに乗っていただきました。私のヨットはTさんにお貸しし、SさんのヨットはNさんが乗りました。それでわたしは慣れないカヌーをYASU海の駅クラブで借り、海の上で「指導」していましたが。。
当日は午後からYASU海の駅クラブが、「ヨット指導者講習会」をしていたので.参加いただきました。国体出場選手の人が直接ヨットのイロハからの懇切丁寧な指導ゆえに、お2人ともとても参考になったと思います。
カヌーから眺めていましてよくわかりました。
1989年の様子。第1回目の中学生ヨット教室です。もう21年も前のことです。
あれからヨットレースをしたり、2002年には高知国体でヨット競技をしたり、夜須町が町村合併で香南市になったり、社会的変化はありました。でもわたしの下手なヨットはとぎれなく続いています。
高齢者になれば、ヨットの沈起こしは困難になることでしょう。
アクセス・ディンギーであればセーリングできます。でもそれには現状では不可能であります。
桟橋が必要です。そうであれば1人でセーリングできるからです。その実現のためにはあと20年ぐらいかかるでしょう。気長にあきらめず追求していきたいと思います。
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