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2010.10.12

「都市開発を考えるを」再読して

Oonohon


 「都市開発を考える アメリカと日本」(大野輝之・レイコ・ハべ・エバンス・著・岩波新書・1992年刊)を18年ぶりに読み返してみました。

 当時はバブル経済崩壊直後であり、日本はまだ土地神話が生きており、都市部の地価は上昇、狂気の「リゾート開発」で自然破壊を平気で日本各地で行っていた時期でした。

 私は高知青年会議所で、高知市の都市開発のありかたを考える「都市再開発セミナー」を1990年から開催・運営していました。3年事業の最終年度として、この本に出会い、精読しました。
Kaitekitoshihon


「林立する高層オフィスビル、遠のくマイホーム、破壊される景観・自然・・・。日本の都市開発は、なぜ生活の質の向上に結びつかないのだろうか。

 サンフランシスコなどアメリカ各地の具体例を通して、徹底した市民参加の手法、「成長管理」という新しい発想を紹介し、人間の暮らす場をめざした都市づくりへの指針を明らかにする。」(表紙に書かれたまえがき)

 18年ぶりに読み返してみた感想は「専門的な分野の記述が多く、なかなか難しい書籍であった。」ということをあらためて感じました。

 当時も今も日本社会の1部にある「アメリカのように規制緩和しないといけない。」「日本は細かい規制が多すぎるから経済が発展しないのだ。」という方便は、こと都市開発手法においては、全く誤解に基づいていることがわかります。

 アメリカの都市開発の場合のほうが、日本より規制が厳しい。景観を遵守する強制力があります。「成長管理」という政策なども日本では未だに浸透していませんが、都市の適正規模を表示し、必要以上に都市人口を増加させない規制を徹底することです。

 その規制により「都市の品質」を確保しようという熱意がアメリカの都市開発では感じられました。

「都市開発の海外視察という名目で、アメリカの大規模都市開発を見学にやってくる日本人は後を絶たない。とくにここ数年は、ボルティモアのハーバープレイスやニューヨークのバッテリーパーク・シティなどのウォーターフロント開発プロジェクト視察が人気である。
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Borutimoa1988

 ボルティモア市のイナハーバー。上がショッピング・モール。下の写真は遠くに水族館(三角の建物)。おなじ会社が大阪の海遊館を設計しています。
Pier17ny1988

(ニューヨークの再開発事例。ウォール街近くのピア17の商業施設)


 こうした視察の「成果」として、すでに日本でも似たようなデザインの水族館やショッピングセンターや広場がいくつも建設されている。日本の都市開発では、こうしたデザインの輸入は実に素早くやられる。

 しかしいくら建物の外観をまねてもアメリカの都市開発を学んだということにはならない。」

「都市開発の中心は、建設行為というハードな部分にあるのではなく、その前後にあるソフトな開発プロセスの部分にある。もちろん建設行為も実施の1段階として欠かせない存在ではある。

 しかし、それは計画の立案や住民合意の形成、都市計画や環境影響計画の様々な手続きなど建設開始までの過程、さらに建設完了後の建物の施設や用途の維持管理やコミュニティ形成の過程などを含む、トータルな都市開発という長い絵巻物のなかの1つの役割にすぎない。

 アメリカの都市開発を学ぶためには、これらの開発プロセス全体を学ばねばならない。しかし従来のアメリカ都市開発の紹介では、この肝心なソフトな開発のプロセスの部分が抜け落ちていることが多い(ソフトなプロセスの中で、唯一熱心に紹介されるのは開発事業のための資金調達手法だ。」

「ソフトな開発プロセスが都市開発の中心であることを踏まえれば、今日のアメリカの都市計画の常識の1つである「プランニング(都市計画)はプロセスなり」という言葉の意味も理解しやすくなる。

 どういう建物(あるいはどういう都市)を作るかということは、もちろん重要であるが、さらに大切なのは、それがどういう過程で作られるかということである。

 以下に計画するか、いかに開発を進めるか、いかに成長を管理するかといった目標達成へ向けての作業過程そのものを重視するのである。都市開発のプロセスが大切にされ的確に行われないなら、都市計画の内容も住民が望むものにはならず、実現もできない。」(P176[公正で開かれた開発プロセス」)

Siminsankahisigodan8dankaishin


 そして「市民参加の梯子段」として私がよく引用する「参加の梯子」についての説明も改めて読みました。

「住民参加という概念を「参加の梯子」によって明快に定義したシェリー・アーンステインは、この概念の持つ問題点を次のように表現している。

「住民参加」はほうれん草のようなものだ。皆これは自分にとって良いものだと知っており、誰も真っ向から反対はしない。(中略)だが、いったんこれが「持たざる者」を含めた人々への権力の再配分を意味することになると、ありとあらゆる見地から反対が唱えられる。」(P102「真の住民参加」)

「アーンスティンによると、住民の参加とは住民に権力を与えることだという。また権力のともなわない「参加」はなきに等しいともいう。

 住民が住みたいと思い、こうあるべきだと考え都市を創っていくという目標を実行する力が与えられている、ということが真に「住民参加」のある都市づくりだというわけである。このような住民の力(権力)の度合いを大雑把にいって8段階に分類して説明しようとしたのが、アーンステインの「参加の梯子」である。
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 最も最上段の住民権力が最強で、住民がコントロールを握ってその目標を果たしえる状態である。反対に、最下段は住民は都市づくりに対する彼らの目標を果たすに必要な権力は何一つ与えられない状態である。

 権力者たちが世論捜査の部として、意味を曲解したまま「住民参加」とか、たとえば、すでに権力者側が決定した事項を黙認する役割しかない形だけの諮問委員会に、住民を任命することである。

 日本の都市を「参加の梯子」ではかれば、そこに位置するのだろうか?」(P194)

 引用が長くなりましたが、地方権力を掌握することこそが、真の住民参加なのです。そうした問題意識はこと高知市や高知県の役人も市民も皆無です。

 現在おこなわれている「東西軸活性化プラン検討委員会」が空しいのも委員各位にも、事務局である行政側にも、そうした「市民参加の梯子:という意識が皆無だから、県民市民に全然浸透しない表面的な議論をしているに過ぎないことが、」本当にあらためて理解できました。

 わたしも18年ぶりに再読して市民参加の必要性と、具体的にはこうだということを再認識できました。

 著者の大野輝之さんとは、新宿駅の喫茶店で1992年当時面談し、話を聞きました。今となってはどんな話をしたのか思い出せません。

 あの頃から高知市の都市開発のありかたは、進歩するどころか衰退しています。世の中思いどうりにはいかん事例として悔しい思いをしています。
Kaitekitosikizi1992

1992年当時の高知新聞の記事。当時も決意はありましたが、自分たちの構想は高知市の都市づくりには全く反映されていません。

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