サンデーとマガジンの時代
図書館にて「サンデーとマガジン 創刊と死闘の15年」(大野茂。著・光文社新書・刊・2009年)を借りて読みました。
少年サンデーも少年マガジンも1959年3月17日の創刊です。わたしは1960年4月に小学校へ入学しましたから、「読者」としては初期からでした。
それまで月刊誌や貸本が主体の漫画雑誌を、週刊で発刊することは大変であったと思います。でも時代が後押ししてサンデー・マガジンは切磋琢磨して、巨大な漫画社会を切り開きました。それから半世紀の歴史があり、日本の世界に誇れる漫画文化になったのです。
少年サンデーの小学館が、当時の漫画世界の大御所手塚治虫を抑え、その弟分であることぶき荘に居住していた藤子不二夫、寺田ヒロオ。赤塚不二夫らを囲い込んだのに対し、後発の少年マガジンは、「原作・作画の分業体制」を確立し、ちばてつやや、川崎のぼるを育成していき、劇画路線でさいとうたかおを、貸本業界から水木しげるをデビューさせて対抗していきました。
1960年代から70年代はその全盛期。「おそ松くん」「ちかいの魔球」「おばけのQ太郎」「カムイ外伝」「ハリスの旋風」「巨人の星」「サイボーク009」「悪魔くん」「天才バカボン」「あしたのジョー」なんかを読んでいました。
筆者は電通からテレビ局勤務の時代に、双方の編集局の関係者を訪ねて話を聞かれたのでしょう。1965年生まれと言いますから、両誌の全盛期時代は知らなかっただろうから、淡々と記述できたのであると思います。
わたしも小6のときに、サンデーのオバQパンチング人形が懸賞であたったことがありました。巻末の両誌の懸賞には毎週応募していました。残念ながら漫画を描く才能は全くありませんでした。漫画の投稿はしませんでした。
中学時代の同級生が少年ジャンプの新人賞かなんかを獲り、現在も漫画家で活躍しています。そんなこともあり、とても少年漫画雑誌は身近な存在でした。
よど号ハイジャックの赤軍派が1970年に「われわれは明日のジョーである」とコメントを残して北朝鮮へ行きました。それから今年で40年になりました。
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