« 今週の野犬メディア | トップページ | 将来を悲観する必要はない »

2010.11.17

「吉田松陰」を読んで

Ryoshidashon

「吉田松陰・上・下」(童門冬二・著・学陽書房・2001年)を図書館で借りて読みました。吉田松陰については、幕末の志士である高杉晋作や、久坂玄瑞の師匠、思想家としては有名な人でした。

 吉田松陰関係の伝記を読むのは初めて。幕末の天皇中心主義の若き学者。「草莽崛起」(そうもう・くっき)という言葉も、右翼のファシストが使う言葉ではないかという「偏見」がありました。

 作者の童門冬二の観点は、実に個性的でした。元自治体職員(東京都)であっただけに、「まちづくり」の観点で吉田松陰をとらえているのは新鮮でした。

「いま住んでいる人びとが、その地域に”生きがい”を感じること.生きがいだけではだめで、「ここに骨を埋めてもいい」というような魅力を住民・議会・執行機関の3者が一体となって生み出すことが大切だということ。」

「さらに現世代だけでなく、現世代の子孫にわたって同じ”生きがい”と”死にがい”を感じることが必要だということ。

 さらに言えば、他地域に住んでいる人が「ぜひそこへいきたい」というような気持ちを起こさせるような魅力を生むこと。

 この3つの目的を充足する”魅力の創造”を

 「その地域の新しい文明を生産するいとなみだ」と告げる。

 吉田松陰の文章を読んでいると、かれがすでにこのことをはっきり指摘していることだ。」(P250 「地域からの発信」)

 吉田松陰は「日本のすみっこに位置する長州藩から地殻変動を起こすような人物を次々と生み出したい」と意識し、門人たちに強い熱意をもって接していたのです。

 吉田松陰はわずか30年の生涯でしたが、人の数倍生きたようです。影響力は物凄いものがありました。

「暴れ牛は高杉晋作だ。政事堂に座っているのは久坂玄瑞だ。ただの棒切れはお前(山県有朋)だ。」

 伊藤博文は「君は学問よりは、周旋(外交)の方が向いている」(P146)といわれていたようです。

 塾の双璧といわれた高杉晋作は結核で若死にし、久坂玄瑞は禁門の変で戦死(自決)してしましました。明治維新後は、棒切れと周旋屋が生き残り、明治国家がいびつな強権国家になったのは、実に皮肉です。

Yoshidashouingazo


 長い引用になりますが、吉田松陰の思想の中核を示す文言を作者の童門冬二氏も引用しています。その文章を辛気な作業ですが、書き写してみたいと思います。( )は現代語訳

「経書を読むの第一義は、聖賢に阿らぬこと要なり。若し少しでも阿る所あれば、道明必ず、学ぶとも益なくして害あり。

 孔(孔子)・孟(孟子)生国を離れて他国へ事へ給うこと、済まぬなり。凡そ君と父は其の義、一なり。我が君を愚なり昏なりとして、生国を去りて他へ往き、君を求むるは、我が父を頑愚として家を出て、隣家の翁を父にするに斉し」

(経書を読むに当たって最も重要なる問題は、聖人や賢人に追従しないということである。もし少しでも追従する気持ちがあると、道が明らかではなく、学問しても益がなく、かえって害がある。

 聖人といわれる講師や賢人と呼ばれた孟子が、生まれた国を離れて他国に仕えられたことは、申し訳がないことである。いったい、君と父とは、わたしにとって、その意義から見れば一つのものである。

 されば、自分の君を愚鈍である昏迷であるといって、生国を去って他国へ往き、そこで仕官をするということは、自分の父を頑迷である愚鈍でsるといって、家を出て隣の家の老人をわが父親だとするのと同じである。)

「孔・孟、その義を失ひ給うこと、如何にも弁ずべき様なし。
或るひと曰く、「孔・孟の道大なり。兼ねて天下を善くせんと欲す。何ぞ自国を必すとせん。且明君・賢主を得、わが道を行ふ時は、天下共に其の沢を蒙るべければ、我が生国も固より其の外にあらず。」

 曰く、天下を善くせんと欲してわが国を去るは、国を治めんと欲して身を修めざると同じ。」

(孔子や孟子が、この道理を見失われたことは、何としても弁解すべき道はない。しかしそれについて、ある人がいう。「孔子や孟子の説かれる道理は大きく、自国のみならず天下全体を善くしようと願っているのである。どうして自国のみに限定して、これに拘泥しているものであろうか。

 その上、明君、賢主に仕えることができて、自分の説く道を実行するときは、天下すべてがその恩恵を蒙るであろうから、自分の生国も、もちろん、その恩恵から除かれるものではない。」

 されば、何も自分の国といううことに限定しないでよい。

 この意見に対し、わたくしは、こう思う。天下を善くしようと思って自分の国を去るということは、国を治めようと思ってわが身を修めないのと違いがない。)

「修身・斉家・治国・平天下は、「大学」の序,決して乱るべきに非ず。
若し身・家を捨てて国・天下を治平しとも、管・あんのする所にて、「詭遇して禽を獲る」と云う者なり。

 世の君に事ふることを論ずる者おもへらく、「功業立たざれば国家に益なし」と是大いに誤りなり。

 「道を明らかにして功を計らず、義を正して理を計らず」こそ云へ、君に事えて遇わざる時は、諫死するも可なり。幽囚するも可なり。飢餓するも可なり。

 是等の事に遇えば、其の身は功業の名誉も無き如くなれども、人臣の道を失わず、永く後世の模範となり、必ず其の風を観感して興起する者あり。

 遂には其の国風一定して、賢愚貴賎なびて節義を崇尚する如くなるなり。然れば其の身に於いて功業名誉なき如くなれども、千百歳かけて其の忠たる、アニ挙げて数ふべけんや・是大忠と云う。」

(修身・斉家・治国・平天下ということは、「大学」に示されている順序であって、決してこれを乱すべきものではない。もし身や家の問題を顧みないで国や天下を治平しようとしても、それは管中やあんえいの行為であって、「孟子」に見える、「詭遇して禽を獲る」というものである。

 世間の君に仕えている人のうちには、「功業が立たなければ国家に役するところがない」と思っているものがあるが、これは大いに誤った考えである。

 「道を明らかにして功を計らず、義を正しくして利を計らず」という通り、君に仕えて意見が合わぬ時は、諫死するもよい。幽囚されるも良い、飢えて死するもよい。これらの状態に陥った時には、自分の一身においては、功業も名誉もないようではあるが、臣下としての道を失わず、永く後世の人々の模範となり、必ずその態度を観て感動し、奮起する人も出てくるものである。

 かくしてついにその国の風が確定して、賢愚貴賎の区別なく、人びとすべて節義を尊ぶようになるのである。
 以上から見るならば、自分の一身から見れば功業も名誉もないようであるが、千年百年という長い年代にわたって、その行動が忠義であること、計り知ることができぬものがあるのであって、さればこれを大忠というのである)

「然れども、その論、是国体上より出でる所なり。漢土に在りては君道自ら別なり。大抵聡明叡智智億兆の上に傑出する者、その君長となる道とす。

 故に堯・舜はその位を他人に譲り、湯・武はその主を放伐すれども、聖人に害なしとす。我が邦は上。天朝より下列藩に至る迄、千万世世襲して絶えざること、中々漢土などの比すべきに非ず。

 故に漢土の臣は縦へば半季渡りの奴婢の如し。其の王の善悪を択びて転移すること固より其のところなり。

 我が邦の臣は譜第の臣なれば、主人と死生きゅうせきを同じうし、死に至るといえども主を棄て去るべきの道、絶えてなし。

 嗚呼、我が父母は何国の人ぞ。我が衣食は何国の物ぞ。書を読み、道を知る、また誰が恩ぞ。今少しく主に遇えざるを以って、忽然として是を去る。人心に於いて如何そや。

 我れ、孔・孟を起こして、与に其の義を論せんと欲す。」

(ではあるが、右のような議論は、わが日本の国体上から来るものであって、漢土にあっては、聡明叡智にして万民の上に抜け出している人物が、民衆の君となることを道理としている。

 それゆえに古代の聖主である帝堯や帝舜は、その帝位をすぐれた他人に譲り、殷の湯王や周の武王は、その主、夏のけつ王や殷のちゅう王を放伐したが、この行為は聖人たる資格に妨げがないとされている。

 これにたいしわが国においては、上は皇室から下は諸藩に至るまで、千万年にわたって、君主の地位を世襲して来て絶えなかったこと、なかなか漢土などと比較すべきものではない。

 それゆえに、漢土の臣は、たとえてみれば、半年ごとに渡り歩く下男下女である。彼等が、主人の善悪を択んで渡り歩くことは、もとより当然のことである。

 これに対し、わが国の歴史は,譜代の臣であるから、主人と死生や喜憂をともにし、たとい死に至るとも主を棄てて他国へ去るという道理は、全くないのである。

 ああわが父母はどこの国の人であるか。自分が着たり食べたりしているこの飲食はどこの国の物であるか。書物を読んで道義を識知するようになったのは、誰のお陰であるか。

 今少しばかり主人と意見があわないからといって、突如としてこの主人のもとを去るならば、自分の心のうちにどのようであるか。わたくしは孔子や孟子を今の世に呼び起こして、ともにこの問題について、論じてみたいと思う。)

「聞く、近世海外の諸蛮、おのおのその賢智を推挙し、其の政治を革新し、しんしん然として上国を凌侮するの勢いあり。我、内を以って是を制せん。

 他なし、前に論ずる所の我が国体の外国と異なる所以の大義を明らかにし、こう国の人はこう国為に死し、こう藩の人は、こう藩の為に死し、臣は君の為に死し、子は父の為に死するのを志確乎たらば、何ぞ諸蛮を畏れんや。

 願わくは諸君とここに従事せん」

(聞くところによると、近頃、海外の諸外国では、それぞれの賢者、智者を推挙して其の政治を改革し、その勢いに乗って急速に先進国を凌駕しようとする態度であるという。

 我らは。どのような方法によって、この勢いを押しとどめることができるか。それはただ1つ。前に論じたところの、わが国の国体が外国のそれと異なっている根本の道理を明らかにし、全国の人々をは国を挙げてわが国のために死し、全藩士は藩を挙げて自藩のために死し、臣は君のために死し、子は父の為に死ぬのだという信念が確乎として、定まるならば、どうして諸外国の侵入を畏れる必要があろうか。

 何とぞ諸君と、この大義の究明具現のために奮起したい。)

 吉田松陰は獄中にあって世界の情勢を分析し、弟子たちと「では今何をなすべきか」という議論を行い、行動に移すように促していきました。

 自分の思想に対する確信があるからこそ、どのような立場にあっても大きな影響を持っていたのでしょう。本当にあらためて凄い人物であると思いました。

 吉田松陰史観で現在の世界を見ると,中国政府の態度は孔子や孟子を生んだ国とも思えない下品で、世界から尊敬されない態度を取る野蛮な国。

 現在の日本の政治家が信念も思想もないから、人気取りに右往左往している。他国の領土を獲ろうとする強盗に立ち向かえないふがいなさがあります。

 幕末期の幕府も圧力に屈して開国をしたものの、世界情勢に対する知識も研究もしていなかったため、列強に不平等条約を押し付けられました。

 吉田松陰の「ならばアメリカを見聞してみよう」という精神に、ペリーも「びびった」のです。

 漢文交じりでなかなか読めませんが今一度吉田松陰の思想を検証すべきであると思いました。

|

« 今週の野犬メディア | トップページ | 将来を悲観する必要はない »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 「吉田松陰」を読んで:

« 今週の野犬メディア | トップページ | 将来を悲観する必要はない »