「日本共産党」筆坂英世・著を読んで
毎週金曜日のはりまや橋商店街「金曜市」で、占い師をされている島本茂男さんに本を頂きました。また島本さんのブログに感想文が掲載されています。
筆坂秀世氏は、共産党のN04であり、よくTV討論会に出演されていた共産党の「論客」のお1人でした。最高幹部の1人でしたが、5年ほど前に「セクハラ」事件ということで、名誉も地位も剥奪され、共産党中央から罵詈雑言を浴びせられた人物でした。
一読しました。筆坂氏は冷静で、共産党の体質を論評しています。
日本共産党は、ロシア革命(1917年)直後の1922年にコミンテルン(共産主義インターナショナル日本支部)として発足しました。党理念や党組織は当時の共産主義の影響を色濃く受けています。
「党員個人は党の組織に服従し、少数は多数に服従し、下級組織は上級組織に服従し、全党のあらゆる組織と全党員は全国代表大会と中央委員会に服従する」(P30 「中国共産党規約2002年採択」 日本共産党は如何なる政党か)
いゆゆる「民主集中制」という共産党幹部絶対主義・独裁主義の組織理念は、レーニンが考案し、スターリンが普遍化した組織理念です。新左翼にも悪しき伝統は伝染し「連合赤軍事件」「内ゲバ」にも現れました。
世界の共産党でも現在その「民主集中制」を採用しているのは、中国共産党、ベトナム共産党、キューバ共産党、ポルトガル共産党、北朝鮮労働党と日本共産党だけです。
いまやロシア共産党も西欧では大きな政党であったイタリヤやフランスの共産党、東欧諸国の共産党もすべて民主集中制を廃棄しています。
島本茂男さんはブログのなかで、共産党のことを論評し、弱点を以下のように指摘されています。
「藤井一行氏(富山大学元教授)の分析によると、日本共産党の土台となる規約は、スターリン時代のソ連共産党の規約と毛沢東時代の中国共産党の規約にならって制定されたものだということでした。
どちらも、覇権主義・軍国主義的な時代の共産党規約と言えるでしょう。
戦時共産主義的と言っても良いかもしれません。
敵と戦うために、党組織を規律で締め上げ、全党員の力を勝利に向かって結集させていくやり方、これを日本共産党は手本にしているのです。
今までの日本共産党のやり方を顧みるとなるほどと納得がいきます。
日本共産党は、軍事組織、軍隊であったと捉えたらよいのかもしれません。
軍隊であるから、個々人の自由な発想や思想を抑圧し、党の活動に集約させるのです。党勢拡大は、支配地を広げることであったのです。(関東軍と一緒だったのか)
「民主的議論を尽くしている」とよく言いますが、実際はタテ構造であり、一部の幹部が権力を牛耳っているようです。
これは、幹部が党員から搾取していることになるのではないでしょうか」
平和な日本で、しかも選挙という議会制民主主義で、政権を獲得する運動をしている日本共産党ですが、その組織原理は「国民政党」とは程遠く、時代と乖離していることが良くわかります。
驚くべきは「革命政党の実像」という項目でした。
筆坂氏によれば、共産党の「財源」は、党員の寄付と機関紙「赤旗」の売り上げ。年々党員が減少し、赤旗の売り上げも減少している中では、真摯な党員ほど疲弊しているとか。ある専従党員や地方議員は「定年になればノルマから開放される」とため息混じりに話すといいます。
筆坂氏は現在共産党が拒否している「政党助成金」を交付を受けたらいいと助言されています。
「それにしても民主主義的政党に言論・出版。集会、結社の自由のために物質的条件を提供するというのは、政党の助成そのもである。 中略
党本部建設募金、夏季募金。党員や支持者は共産党の募金責めにへとへとになっている。思い切った転換を検討すべき時に来ているように思えてならない。」(P63)
筆坂氏の指摘が「ごもっとも」なのは、「ご都合主義の選挙総括」です。
筆坂氏が党政策委員長であった頃、ある新聞記者にこういわれたそうです。
「共産党の選挙総括は読まなくてもわかります。いつでも共産党は正しいということですから。そうすると、それが理解できない国民多数が馬鹿だと言っているのと同じではないですか。」(P156)
ようするに自らを「前衛」と呼び、「国民大衆」ということで区別しているようなので、表現は多少変われど「上から目線」の体質は変わらないということでしょう。
そして選挙の敗北の責任を「マスコミや国民」のせいにして責任転嫁します。
「日本共産党には、侵略戦争に反対した唯一の政党という誇るべき歴史がある。少なくない党員が命をかけて戦争反対を貫いた。
ただ共産党にも戦争責任があるという丸山真男氏の議論に与するわけではないが、戦争をとめることも、有効な反戦運動を構築することもできなかったことは事実だ。」(P170 「正しい共産党」など正しくない)
共産党の最高幹部を経験された人が、ちゃんとした「社会常識」をもたれていることには正直驚きでした。教条主義・独善主義に染まっていない。
左翼が面白くないのは新旧両方、市民団体でも教条主義。原理主義がはびこり、異論や異質なものを許容しない了見の狭さです。
最近わたしも左翼系の市民団体を「卒業」しました。やはりそれは「面白くない」運動体だったからです。無党派であるくせに了見が狭い。党派性がありました。「排除の論理」も大嫌いでした。
平和運動や反戦運動が日本では大きなうねりにならないのは、生真面目さが、異論を排除する排他性を強く持っているからです。日本共産党から新左翼まで同じです。
共産主義も左翼運動も「レーニンの呪縛」から逃れられないのでしょうか?
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