陰徳を積むを読んで
「陰徳を積む 銀行王・安田善次郎伝」(北康利・著・新潮社・2010年刊)を図書館で借りて読みました。
普段貧しい生活を日々過ごしている「商売が下手な」私には、「陰徳」なんて全く無縁。まして戦前の大富豪安田善次郎なんてという思いもありましたが、伝記は面白く一気に読んでしまいました。
安田善次郎は1838年富山の生まれ。幕末・維新期の混乱期に商才を現し、両替商として事業をなし、後の銀行王となりました。
彼の座右の言葉は「克己貯金」(収入の2割を積み立てる)ことでした。倹約し、商機が熟すれば一気に投資し、資産を拡大してきました。
「我利ばかりの金の亡者と陰口をたたかれることもあったが、善次郎だったが、あの太政官札の時同様、国家の苦しいときは彼が裏で支えていたのだ。
まさに”陰徳の人2の面目や躍如である。」(P163「事業家としてたつ」
普段は倹約に努め、「けち」だとの評判が常にあった安田善次郎。しかし政府が破綻寸前の時に、日清戦争時の戦時国債を引き受けたりしていました。見る目が確かですから、後にそれで大儲けする。しかし当初は誰も引き受けてのなかった国債を安田善次郎が購入することで、結果完売。後々の利益のために世間に妬まれるという損な性分の人だったようです。
伝記では大阪の港湾建設や、後の京浜工業地帯になる鶴見や港湾整備も行ったのも安田善次郎の支援があったため。日本の社会資本の基礎をこしらえた銀行王でした。
(現在の京浜工業地区は日本の産業の要になっています。)
浅野総一郎や高橋是清、後藤新平などを「育てた」人でもありました。
惜しむらくは1921年(大正10年)に、暴漢に83歳で刺殺されたことでした。安田氏が生きておれば、後藤新平の「東京大改造計画」はおそらく実現していただろうし、関東大震災の復旧支援もスムーズであったことでしょう。
東大安田講堂の寄贈者ということと、小野ヨー子氏が安田一族らしいという予備知識しかありませんでした。なかなか立派な経済人だったようです。
「陰徳を積んだ人」ゆえに忘れられた人ですが、あらためて業績の大きさに驚きました。
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