龍馬は生き残れなかったのか?
2010年のNHK大河ドラマ「龍馬伝」もいよいよ佳境に。11月28日の最終回に向けて突っ走っております。
坂本龍馬が暗殺されたのが1867年の11月15日。暗殺の1年前から「大仕事」をいくつかやり遂げています。
まず誰もが絶対に不可能と思われていた「薩長連合」の締結。これで世の中の流れが変わりました。倒幕機運が一気に高まります。
土佐藩の後藤象二郎と「和解し」、亀山社中が土佐藩公認となり、海援隊へ発展しました。今度は徳川幕府に恩義のある土佐藩を活用して、「大政奉還」までやってのけました。
これには薩長の倒幕派も仰天したことでしょう。
幕府方、討幕派双方から「恨まれる役」になった坂本龍馬。11月15日に京都の近江屋で、討幕派の盟友中岡慎太郎と一緒に暗殺されてしまいました。
「薩長連合」「船中八策」「大政奉還」という大きな政治的事件をたった1人の土佐の脱藩浪士がやり遂げたのですから、世界史的な出来事であると思います。
ただ殺されることはなかったのではないかと思います。なぜもっと警護を厳重にしなかったのか?
龍馬は新政府の要人になる意志や、政治的な野心がなかったのですから、海援隊士の語学の出来る陸奥宗光などをともなって、英国か米国にさっさと逃亡すれば良かったと悔やまれますね。
革命も指導者が長生きしてこそ成果が出ます。キューバのカストロ議長は、隣国米国に50年間も経済制裁を受けながら頑張っています。一方ゲバラは坂本龍馬と同様に30歳代で殺害されてしまいました。
人々の記憶に残る英雄なら、若いまま死んでも本望と思われる人もいるでしょうが、私はそうは思いません。やはり革命を貫徹するためには、長生きすべきですし、後継者もきちんとこしらえるべきです。
司馬遼太郎氏は「やるべきことをやり遂げて竜馬は天に召されたのだ。」と言われてみましたが、明治期の歴史の坂本龍馬暗殺後の歩みからしても、「決して暗殺されてはならない人物」の1人であったと思います。
坂本龍馬は思想家ではなく、著作を残していません。実践者でありました。彼の行動様式は独特で、追随者がいませんでした。後継者がいなかったのがとても残念でした。
龍馬が英国なり、米国なりで生存しておったなら、おそらく明治政府の専制政治は出来なかったことでしょう。まことに残念であったと思います。
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