メディア・リテラシーを高めよう
「メディア・リテラシー」という言葉が語られて久しい。しかし日本語化されずに定着しない。情報を使いこなす能力のことであります。
参考ブログ記事「メディア・リテラシー」の項目
以前もこのテーマで考えたことがありました。
「メディア・リテラシーを実践しよう」2002年「けんちゃんの吠えるウォッチング」
8年前にもコメントしていますが、わたしの問題意識はその当時とは変化していません。当時のコメントを掲載してみます。
実はこのテーマ以前にも取り上げられました。しかし昨年は9月11日のニューヨークの同時多発テロ。10月8日の米英両軍のアフガニスタン攻撃など、大量の情報を見せられました。
ニュースや新聞の報道記事は『事実を正確に伝える」ものと私たちは信じてきました。しかし誰がそれを判定するのでしょうか?今一度メディア・リテラシーについて考えてみたいと思います。
1)アフガニスタンでの戦争は,一方では情報戦争でした。ブッシュ大統領は常にテレビに登場し、演説していました。米国国防大臣、安全保障担当官などは,常にプレス発表していました。
またテロリストと名指しされたビン・ラディンもカタールの衛星テレビ局アルカジ―ジャにビデオ出演し自らのメッセージを全世界に送りました。
2)戦争が始まりますと情報管理がはじまります。今回は衝撃的な無差別テロが発端だけに、戦争に反対しにくい雰囲気でした。アメリカ大統領も,タリバン側も「味方でなければ、すべて敵」という
極端なプロパガンダを展開しました。これでは冷静に事実を見れません。
3)メディアにとっては大変危険な状態です。体制翼賛放送は,メディアの自殺行為だからです。言論の自由のアメリカで『戦争反対」を叫ぶことには勇気が必要になりました。民主主義にとっても危機だと思います。
* 過去ヒットラーなど煽動者は事実でなく、感情や憎悪でメディアを最大限に活用しました。
それを見抜く視点がメディア・リテラシーなのです。
* この『吠えるウォチング」という番組。しつこくやっています。「高知市の1市民」が世界からローカルについて発言しています。マスコミや専門家、学者ではなく1市民が情報を入手し、発言することこそメディア・リテラシーそのものです。
* 「健全な民主主義は,健全なメディアとともにある。」ことを肝に銘じました。
とありました。間違いではないと思います。
8年前は、このコメントを書くのには、HTMLのホームぺージでした。今はブログで手軽に情報発信ができます。今はツィッターやSNSやYou TUBEなどの情報発信手段も多様化しています。
あまりに情報が過多なので、そのなかでおぼれてしまう人たちもいます。あいかわらずテレビのニュースが情報源の人たちも多数を占めています。高知では未だに地元新聞社の威力はまだあります。
プロのマスコミや通信社や出版社が伝える情報にしろ、市民が発信するネット上の情報にしろ、必ず「発信者の意図」があります。それは何かを受信者側は常に考え、考察しなければいけないと思います。
今年は「小沢一郎はけしからん」「中国はけしからん」「北朝鮮はけしからん」という感情的、情緒的な報道の洪水がありました。そのなかで真実を見分ける目を、市民1人1人が持たないと本当の民主主義は育ちません。つくづくそう思います。
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