
「あの戦争になぜ負けたのか」(半藤一利・保坂正康・中西輝政・戸高一成・福田和也・加藤洋子・著・文藝春秋・2006年刊)をブックオフで購入し読みました。
敗戦後60年前の2005年に6人の論客が対談し、それぞれ分析しています。どうして無謀な戦争を始めたのか。惨敗することがわかっているのに何故戦争をしたのか。戦争目的は何だったのか。総括されているようでなにもされていない「歴史」についての考察でした。
すべてを紹介することは出来ませんが、発言のなかで気になる箇所を列挙してみます。
「福田 結局、一連の過程であらわになったのは日本の情報力というより分析力の欠如ですね。素直になれば見えているはずのものを。希望的観測に基づいて。「見えない」とも思ってしまう。」(「ヒトラーとの同盟は昭和史の謎」P39)
「保坂 明治の中期、たとえば1902年の(明治35年)の日英同盟を結んだ頃のほうが、まだしも国家戦略があったように思うんです。
一か八かの戦争をするにしても、難しい状況の中で、何とか事前に政治的な「勝利」のかたちを想定していたからこそ、日露戦争という、常識では考えられない大国を相手に戦ってとにかく勝ちを収めた。
それが、なぜ次第に場当たり的になっていくんでしょう。」(P42「場当たり的だった対米戦略」)
「中西 私は今もって不思議なんですが、当時ドイツは日本に仲良くしようと擦り寄ってくる一方で、支那事変では、中国国民党に強力な軍事顧問団を派遣していましたよね。
中略 ドイツの軍事顧問団のせいで,日本は上海戦線などでは4万人という大変な死傷者を出して痛めつけられています。なのに、なぜ日本人は「ドイツ憎し」と思わなかったのか。」(P44)
「戸高 私は。太平洋戦争は平凡な結論ではあるが、負けるべくして負けたものと考えている。昭和16年の日本に、アメリカと互角に戦う力はなく、当然ながら継戦能力は全くなかった。
第1に連合艦隊の燃料である石油は、アメリカから輸入していたのだから、言う言葉もない。日本にはあまりに選択肢がなかったことは事実である。しかし避戦の方法が全く無かったとも思えない。
日本政府は、何とかなるだろうと、開戦を決意し、兵士は全力で戦った。軍隊というものは、戦えと命ぜられれば、とても勝つ見込みなどなくても全力で戦い、止めろと命ぜられれば、もう少しで勝つような状況でも直ちに戦闘を止めるものなのである。
この意味で、開戦と終戦を見るとき、日本の軍隊は見事であったと言ってもいい。しかし、この純真で真面目で精強な兵士を使った指導者はどうであったか。
有能であったか、無能であったかではない。無責任であった。兵士の命を預かる司令官、長官クラスが、おしなべて無責任であった。
将官人事は戦時中も平時のままに行われるために、おおよそ適材適所という要素に欠けていた。」(P248「果たされなかった死者との約束」)
戸高一成氏は一度だけ見たことがあります。広島県呉市にある大和ミュージアムの館長でした。下の子供が「紙芝居画」で特選で表彰を受けたときに、少しだけ話したことがありました。戦史に詳しい人のようでした。
今回6人の識者は立場とは違え、当時の日本の指導部の情報軽視、兵站軽視、人命軽視、希望的観測での判断、無責任が敗因と述べています。
ヒトラーは日本人を蔑視していたし、中国国民党に精強な軍事顧問団を派遣し、最新鋭の武器まで供与していたのに、十分にそのあたりを調査もせずに日独同盟を締結してしまったことも「おかしい」と指摘しています。
ドイツは日本と異なり情報戦略や謀略活動が巧みで、日本政府の要の人達をドイツびいきにする工作を巧みに行っていた痕跡があると指摘していました。
また日本軍の将校の序列が陸海軍大学の成績順で人事がなされ、戦闘現場での判断を欠く司令官ばかりであったとのことです。特に先の大戦で重要な役目を担った兵站部の艦艇司令官や潜水艦司令官は、成績下位のものであり、連合艦隊の中でも重要な位置を占めることはなかったとのこと。欧米軍は正反対でした。
また経験的に第1次世界大戦を日本は経験しなかったので、「戦争継続」のノウハウが、日露戦争当時で思考停止しており、現場での対応が全くできなかったようです。
真珠湾攻撃を発案し実行した山本五十六は、日露戦争当時、東郷平八郎が、旅順閉塞作戦を艦隊総力で奇襲攻撃をかけておれば、あれほどの苦労はしなかった。だから緒戦で米国艦隊を先制攻撃する作戦であったというのも、この本で知りました。
しかし当時の政府も日本軍部幹部も、「いつどこで停戦し、講和する」という明確な戦争目的が最後までありませんでした。アジアの解放が戦争目的であれば、シンガポールを攻略直後にインドに侵攻すべきでした。それをガダルカナルやニューギアに侵攻し兵站線を延ばしただけでした。
兵器製造分野でも、戦闘機のゼロ戦は世界水準でした。短期間で艦艇を製造する技術も大変なもので、兵士同様末端の職人たちの技術力とこだわりが世界水準の航空機や艦艇を生み出したということです。
米国は対極に「そこそこの兵器」を日本より遥かに大量に生産し、戦場に送り込んできました。結果その工業力の差が日本の惨敗になりました。
振り返って今の日本。政治指導者の無能さ、無責任さは変りません。
度胸の座った、戦略のある政治家の登場が待たれています。先の大戦から学ぶべきことは無責任な指導者を許してはならないし、国民は常に監視しなければならないのです。
最近のコメント