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2011.01.29

家族がいとおしいのは人間なら当たり前

  現在の私は仕事以外の市民活動を制約しています。その理由は超高齢の両親のケアを優先するようにしているからです。ケアと言いましても両親は生活能力があり、介護状態でもありません。一歩前という状態でしょうか。

 出きる限り自分の足で歩いて、自分で食事も入浴も着替えも排泄も出来ること。人間の尊厳をできるだけ保てるようにしたいと思います。しかし年齢もあり身体能力などは徐々に衰えてきていることは確かです。

 だからこそ今は介護予防に全力を尽くしています。介護予防体操のDVDは毎日2両親には朝と晩に2回やってもらっています。足腰の衰えを防ぐため、簡単な筋トレを毎日やってもらっています。

 介護・福祉関係の施設を調査し、可能な限り自宅で一緒に生活したいと思います。

 「親孝行だね」という人もいますが、私はそうは思いません。

 40年前の高校生時代に、わたしは社会活動に専念し、学業を疎かにし、卒業出来ませんでした。両親は学校にたびたび呼び出され、「退学勧告」を受けていました。でも母は頑として当局の意向の自主退学に応じることはなく「息子は卒業させて大学へいかせます」と言い切りました。

 担任の教師は「お母さん。絶対に無理です。息子さんが男なら退学して大検を受けて大学を目指しましょう」と言いましたが、母は拒否しました。そして私は留年し1学年下の連中と一緒に勉学し、なんとか卒業し大学へも翌年進学することができました。

 会社も創業したばかりでせわしい中、父もたびたび高校へ呼び出され、「引き取り」に来ていました。

 40年前に両親の「ケア」があったからこそ、わたしはなんとか脱落せず、今は平凡な小市民になったのです。

 「恩返し」とは言いません。高齢の両親のケアはいとおしいと自然に思うからしているのです。大声で親子喧嘩することもあります。家族ですから。

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