幸徳秋水さんが冤罪で処刑されて100年目
今日は100年前に大逆事件の冤罪で、高知県出身の社会思想家幸徳秋水が処刑された日だそうです。
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日本経済新聞2011年1月24日朝刊の1面コラム「春秋」で知りました。
「世界的に見ても先駆的な帝国主義論を出版し、明治政府をこっぴどく批判した。足尾鉱毒事件で田中正造が天皇に直訴しようとした直訴状を下書きした。
つとめていた有力新聞(万朝報)が日露戦争の開戦論に転じると、辞職して非戦論を唱え続けた。盟友の堺利彦とともに日本で初めて「共産党宣言」を」翻訳した。
大逆事件では、秋水とともに処刑された者が他に11人いる。特赦で死刑は免れたものの、結局は獄死した者が5人。大半は無実だったとみられている。
秋水の出身地、高知県四万十市は、きょう墓前祭を実施する。時代はも世の中も変ったが、冤罪はなくなってはいない。法の支配の大切さを改めて肝に銘じたい。」(日本経済新聞「春秋」より引用。
経済問題専門の日本経済新聞がコラム欄できちんと幸徳秋水を取り上げていただいたことには感謝したい。
大逆事件が起きたのは1910年。今から101年前rです。日本では反政府運動を非条理な冤罪で押さえ込み、韓国を無理やり併合し、植民地化しました。そして帝国主義・軍拡路線を日本はひた走り、35年後の1945年に無残な敗戦を迎え国土は焦土となりました。
歴史としっかり向かい合い、世界観をただしく国民1人1人が持たないといけないと思いました。
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