1963年という時代
今年夏公開予定のスタジオ・ジブリの新作アニメは「コクリコ坂から」(企画・宮崎駿・監督・宮崎吾郎)の時代設定は1963年頃の日本であるそうです。
1963年(昭和38年)といえば、東京五輪(1964年)の前年であり、日本国中が高度成長に沸き立ち経済優先の時代に突っ走っていた頃でした。
私は当時大阪の吹田という市の小学生。工場地帯があり、近くの神埼川は工場廃液でどす黒く汚れていたことを覚えています。
なんせ小学校時代は父の仕事の関係で、5回も転校しました。それでどこの小学校の校歌なのか失念しましたが、「進む日本の産業と、若い力が伸び上がる・・」とかいう文言がありました。
もくもくと煙が上がる煙突は繁栄の象徴でした。東京と大阪を結ぶ新幹線が話題になり、同級生が乗ったとか言って話題になっておりました。
反面交通戦争とか言われ、四日市の公害問題も出てきていました。
スタジオ・ジブリはどのように時代を描くのでしょうか?昨年の「借りくらしのアリエッリティ」の1年後に作品を制作するとはなかなか大変なことであると思います。
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コメント
しばやんさんコメントありがとうございます。現在は吹田市にお住まいなのですか。
わたしが吹田市に住んでいたのは、それこそ1962年から64年までの2年間でした。
確か記憶が正しければ吹田第2小学校へ、2年生と3年生のときに通学していました。
ただホームページで確認すると私が通学していた頃と場所が違っているように思います。
当時は阪急千里線の線路が校舎から見えた記憶があるのですが・・遠い昔のことなので間違っているのかもしれません。
「産業振興」のことを歌っている校歌は、5回目の転校となった高知県いの町のいの小学校校歌のようでした。
「一、仁淀の水は豊かに流れ 朝日におどる 若あゆ楽し
進む日本の産業の 若い力が もりあがる
われらは伊野の小学生」とあります。
水量豊かな仁淀川を活用した手すき和紙工業が昔から盛んであり、それに機械漉きの製紙工業が校区にたくさんあったので、そういう内容でした。
吹田の小学校は校区は吹田の操車場とアサヒビールの工場があったりしましたが、多くは住宅地でした。
真っ黒い神埼川は遠足で近くへ行ったことがあります。友人とふざけていて、川に落ちそうになったことがあったので、今でも様子を覚えていたのです。
交通戦争も言われだしていました。大通りで車にはねられそうになったこともありましたから。
64年の4月に高知市へ戻りました。
吹田市には2年間しかいませんでしたが、環境が激変していましたね。
1976年に尼崎が本社の会社に就職して休日に吹田市を歩きましたが、子供時代の面影はまるでなく、自分たちが住んでいた場所も発見できずに終わったことでした。
阪急千里線の豊津駅から徒歩10分くらいのところの借家にいたのですが、場所はわからずじまいでした。
投稿: けんちゃん | 2011.01.09 09:22
けんちゃんさん、こんばんわ。
私は、昔けんちゃんさんが住んでいたという大阪の吹田市に住んでいます。意外なところで接点がありましたね。
吹田市の小学校の校歌を調べてみましたが、神崎川沿いの小学校の校歌の二番までで「進む日本の産業と、若い力が伸び上がる…」という歌詞のある学校は見当たりませんでした。
今も神崎川沿いには製紙会社や製薬会社などがありますが、汚い廃液を流しこむような事はありません。
私の小学校の頃は京都の鴨川も、廃液が垂れ流されていろんな色に染まる時がありました。今から思えば高度経済成長期は、自社の利益を追求する行為が社会に害を及ぼすことがあっても、何とも思っていない会社がかなり数多かったと思います。
投稿: しばやん | 2011.01.08 20:23