「親のぼけに気がついたら」を読んで
「親のぼけに気がついたら」(斉藤正彦・著・文春新書・2005年)をブックオフで購入し読みました。読後感は「身につまされる」思いでした。
著者の斉藤正彦氏は精神科医。大学教授ではなく市井の病院での豊富な臨床事例をもとに、本書を執筆されている。いくつかの事例からストーリーをつくり、初歩段階から、末期、そして終末までの期間、認知症状がどう変化していくのかを描いています。
結論は認知症状には個人差もあり、個性もあるということです。斉藤氏はできるだけ初期の段階から本人に告知し、家族も恐れることなく認知症状と付き合うことを奨めています。
世間体を気にして「健康診断だから」と本人を騙しての受診や、施設への入所は逆効果。認知症状になっている本人(親)が1番苦しみわかっていることであるから、家族が社会的な制度(介護保険)や施設を上手に活用し、自然体で人生の終末を迎えるようにしませんかという啓発本でした。
「第1は痴呆性疾患の介護は、<痴呆老人>という種類の人々に対する一方的なお世話ではなく、不運にも痴呆性疾患という病気になってしまった、かけがえのない個人の援助だということです。
痴呆症状を抱えながら生きている、生きていかなければならない独立した個人を、敬意をもって温かく支え、できる限り自律を保った人生の終末を迎えていただくと同時に、介護するほうも、介護という行為を通じて、家族同士のコミュニケーションを深め、豊かな人生のひとこまを過ごしたという実感を持って振り返ることができる介護でなければならない。」
「第二は客観的な知識と冷静な観察があれば科学的な介護の工夫ができるということです。中略。 痴呆性疾患の進行を追って各時期に起こる問題にどうやって立ち向かっていけばいいのか。工夫を積み重ねることで創造的な介護が出来ます。
無手勝流で当たるをなぎ倒すというやりかたでは、たちまち息切れしてしまいます。体力よりも、頭、目、耳、鼻、口などの感覚器を使った介護をしましょう。」
「介護者が幸福であるかを常に自問することです。自分が幸せでない人に、他人を幸福にすることはできません。痴呆症状を抱えて幸福になることは大変です。
誰かの助けが必要です。自分に余裕がないのに、おぼれる人を助けようとすれば、助けを求めた人と一緒におぼれてしまします。無理は禁物です。」(P253)
身近な知人の壮絶な介護の話も聞きました。まさに地獄のようでした。多忙な商売をしながら、親の介護をすることはとても難しい。
まさに他人事ではない。でも育ててくれた両親の介護はきちんとやれる範囲で、覚悟してしないといけないと思う。介護ヘルパーの研修も過去にしましたが、施設任せではどんどん人間が壊れていきます。
人間が人間らしい終末を悔いなく迎えるためのしくみをこしらえてみたい。最近強くそのことを思うようになりました。
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