「知将秋山真之」を読んで
「知将秋山真之」(生出寿・著・光人社・1996年刊)を図書館で借りて読みました。筆者は元海軍兵学校卒。著書にも海軍ものが多い。この本は司馬遼太郎氏の小説「坂の上の雲」の出版後に出されたようです。
日露戦争で、日本海海戦で、ロシアのバルチック艦隊を壊滅させた作戦参謀として、NHKの大作ドラマ「坂の上の雲」で脚光を浴びています。事実それまで良く知らない人ではありました。しかしこの本を一読してなかなかの人物であったことがわかりました。
「秋山は、アメリカ、イギリスで静養の海軍技術を免許皆伝といえるところまできわめた。しかし西洋の戦術そのままに取り入れず、日本古来の戦術をもとにして西洋の戦術を超えるものをつくり、それを連合艦隊の戦術そ¥としたのである。」(P49「日本古来の名戦法」)
秋山の家系は伊予の村上水軍の系譜を引いていることもある。上杉や武田の軍学者も読み漁り、兵学書にも詳しかったようです。それだけでなく新兵器や新しい武器の研究も熱しにしていました。
海軍兵学校での秋山の講義も実戦を想定にしています。
「秋山が指導する図上演習と兵棋演習は、ロシア艦隊を仮想的とするもので、実戦そのものであった。(P53)
筆者はあとがきでこう述べています。
「秋山の作戦計画は、すべて、権威や教条や形式にとらわれない、秋山独自のものであった。それはまた現実にマッチする合理的で堅実なものであった。
川中島、桶狭間、のように講談のタネになるような超合理的な戦法は、ほとんど建てなかった。太平洋戦争においての一か八かの真珠湾攻撃も、秋山ならば反対したのに違いない。」
ありとあらゆる機会を捉え、情報を収集し、現実に即した作戦を立て、実行することであると説いています。
その後の日本の軍事の歴史は、秋山真之の「考え方」を無視し、ないがしろにしました。その結末は無残なものでした。明治の時代にこれほどの知性をもった人が、作戦参謀としていたことは奇跡でした。奇跡ゆえに、その後継者をつくれなかった以後の日本社会の駄目さ加減は十分歴史を顕彰し、反省しないといけないと思います、
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