”世代”でひとくくりに出来ない時代に突入
(画像は高知新聞2011年1月11日14面「バブル世代はなぜ嫌われる」より引用しました。)
記事にある日本の「世代区分」でいきますと、わたしの生まれた1953年生まれは、「団塊の世代」「全共闘世代」の後の世代。後に続く「新人類世代」に挟まれた「しらけ世代」であるとのこと。
中学・高校当時は、上の世代である「全共闘世代」が,テレに頻繁に登場。佐世保闘争の3派全学連。1968年ー69年の日本大学と東京大学の全共闘運動の高揚がありました。中学3年の1月に東大安田講堂攻防戦があり、ちょうど高校入試前でしたが、くいいるようにテレビを見ていました。
高校時代は大学闘争が高校へも波及してきた時代。田舎の高校生も例外ではない。他校の占拠や、ビラ配り、デモ行進に参加もしていました。しかし1970年安保闘争が終わると、運動は後退局面に。1971年は高校3年生でしたが、一緒に運動していた仲間同士が党派の影響で分裂。田舎の小さな組織内でも暴力的な対立が持ち込まれました。
権力側と戦う前に、内部抗争でエネルギーを消耗してしまう状態に。その典型は1972年2月に表面化した「連合赤軍事件です。結局その年には卒業できず留年。
仲間たちは退学処分や自主退学し、私だけは1人留年し、翌年卒業し、大学へも進学しました。
大学でも少し闘争を体験しましたが、ほどなく全国規模の党派闘争が蔓延。「内ゲバ」と言われ、凄惨な殺し合いになり、知り合いのサークルの先輩が対立党派に殺害されました。
そうこうしてうるうちに内ゲバ状態が深刻になり、対立した党派がサークル協議会を支配するようになり、登校できなくなってしまいました。社会活動はその時点で停止しました。そして1976年には関心を寄せていた党派も解散してしまい以来活動は一切しておりません。
「しらけ世代」とくくられたらそうでしょうが、人間は多様であり、皆が皆同じ体験をしたわけではありません。共通体験で唯一説得力があるのは「焼け跡世代」でしょう。作家の野坂昭如氏らの言動には説得力がありましたから。
記事にもありましたが、ひとくくりにする「世代」というのは今後は現れないと思います。
| 固定リンク
コメント